アニメと日々を見聴きする。

アニメの感想/考察中心に、長文を記録しておきたくなった時に記録するブログ。劇伴音楽関連の話題が多いかもしれません。

少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第1話-

本記事では、アニメ「少女終末旅行各話を、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして振り返り、劇伴音楽の使われ方について考えたりしていこうと思います。
以前にも劇伴音楽をテーマに振り返り記事を書いたことがあるので、コンセプトがよく分からない場合は参考にどうぞ。↓↓

【総括】響け!ユーフォニアム2をサウンドトラックで振り返る - アニメと日々を見聴きする。


その劇伴音楽ですが、末廣健一郎さんによる少女終末旅行」オリジナルサウンドトラックが先日発売されました。

聞いたことがない!という方は、まずはこのような記事を読む前に、iTunesなどでポチッと購入して聞いてみることをオススメします。


今回は第1話を振り返ります。
次回(第2話)こちらから

はじめに〜なぜ劇伴音楽使用シーンを追う必要があるのか?〜

振り返り感想を書く前に「劇伴音楽の使われたシーンに絞って話を振り返る」事にどんな意味があるのか?という疑問をまず投げかけておきたいと思います。

というのも、この作品ではむしろ音楽の鳴っていないシーンで味わい深い瞬間が詰まっている場合が多いからです。
“だれもいない世界”が舞台のこの作品では、廃墟の中の吹き抜ける風・したたり落ちる水滴の音など、環境音によって濃く雰囲気作りがなされていたり、チトとユーリの会話にも考えさせられるものが多く、音楽以外の音にかなりの情報量が詰まっているアニメだと思います。


そんな中、劇伴音楽の使われたシーンを振り返る事にどんな意味があるのか。
ここでは私の個人的な目的を事前に挙げておきたいと思います。
なおここで挙げた興味は、こちらの末廣さんのインタビュー記事を読みながら浮かんできたものが多いので、ぜひみなさんもこのインタビュー記事だけでも読んでみてください。


1.劇伴音楽はどんな役割を負っているのか?
これが一番大きな興味で、「音楽が話のテーマや展開とどう関わりながら配置されているのか」という点です。
ただ全話通して見るだけでは分からないかもしれませんが、1話ずつゆっくり音楽を振り返れば分かるかもしれません(し、分からないかもしれません)。
どんな意図があってそこにその曲が使われたのか?という事を理解できると、より物語の事を理解できるような気がするのです。

今の時点では「前進」「停滞」という言葉が一つのキーワードになるのではないかと予想しています。
具体的には、これからの各話振り返りで見ていくことになるでしょう。
「前進」というキーワードは、上に挙げた末廣さんのインタビュー記事に出てきたキーワードでもあります。


2.純粋に、全話振り返りたい
純粋に、1クールが終了してちょうどいい節目なので、何か感想を文章として残しておいても良いかなと思いました。
3ヶ月間かなり楽しませてもらった作品でもあるので。


3.女性コーラス入りの曲の使われ方
これもインタビュー記事に触発されたモチベーションですが、女性コーラス入りの曲が4曲ほどサントラに収録されており、他の曲と比べて使用され方に違いがあったら面白いなと思い、調べてみることにしました。
違いがあるかどうかは調査してみないとわかりませんし、ないかもしれません(笑)


4.音楽の長回しの度合い
これまた上記インタビュー記事に触発された興味です。
末廣さんによると、長めに使えるような曲を多く作ったということですが、実際どれくらい劇伴音楽が長回しされていたのかが気になりました。



以上の4点ほどをモチーベションにして、劇中で劇伴音楽の使われているシーンを振り返って調査していきたいと思います。


というわけでさっそく、今回は第1話を見ていきます。

第1話『「星空」「戦争」』

劇伴音楽とストーリーの対応表は以下になります。

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この中からいくつかのシーンをピックアップして振り返り、感想を書いたり劇伴音楽について考えたりしていきたいと思います。

「前進」するケッテンクラートと「瞳ニ映ル景色」

タイトルが表示されると同時に「瞳ニ映ル景色」が流れ始め、これがこの作品の中で一番最初に使われた劇伴音楽となりました。

瞳ニ映ル景色

瞳ニ映ル景色

チトとユーリの乗ったケッテンクラートが暗い地下を前へ前へ進んで行くシーンです。
「瞳ニ映ル景色」のメロディーとなるコーラスには、どこか飛び跳ねるような楽しげな雰囲気を感じます。

誰もいない世界をチトとユーリの二人だけが行くという世界観を体現する、まさに物語冒頭にふさわしいシーンです。
この曲が流れている間はまだチトとユーリのセリフが一切無く、ケッテンクラートの音が響き渡っているだけなので、余計聞き入ってしまいます。


これは、上で挙げたインタビュー記事の中で触れられているように、「前進している感じ」を音楽によって支える一つの典型的なシーンだと思います。
他にも例えば、この後に来るシーンでは、ケッテンクラートでの移動中にBGM「チトとユーリ」が使われています。

チトとユーリ

チトとユーリ

さらに、このBGMの鳴り終わるタイミングに着目すると、ケッテンクラートが停車しエンジンを止めるのに対応して音楽も休止する事がわかりました。
これを考えても、「前進」を演出する意図でBGMが付けられているのではないかと予想できます。


今後の話数でも同様に、ケッテンクラートでの移動(から停車まで)に伴い劇伴音楽が使われる例が出てくるので、その都度触れていきたいと思います。

ドラマチックな地下脱出と「弾ム心」

二人がついに出口を探り当て、星空に照らされるシーンでは、「弾ム心」が使用されました。

弾ム心

弾ム心

この曲めっちゃいい曲ですね……


よだれに吹き付ける風を頼りに探すとは、すごい指が寒々しそうな方法ですが……(笑)
二人は着実に出口へと前進し、外の光へ向かいます。

差し込む光に二人が目を閉じ出口をくぐり抜ける瞬間、曲はちょうどピークと小休止を迎え、時が止まったかのような感覚を与えてくれます。
そしてまぶしい光に目を開ける二人とともに、曲は再び最初のメロディーを再現し、また時が動き出します。

完璧なまでにシーンと曲がマッチしていて素敵です。
これを見てこのアニメに引き込まれないわけないじゃないか。


しかしよく考えると、「地下から地上へ出る」、ただそれだけのシーンなんですけどね……
それがこれだけドラマチックになるのは、音楽の力もあるでしょうし、出口をくぐる瞬間の間の置き方、それから過剰なまでにまばゆい光の表現も一役買っているのだろうと感じます。


地下空間から出口・地上の世界へという、旅の「前進」を演出しているとも捉えられるかなと思います。

雪の中の探索と「風ト廃墟ノ散歩道」

二人が雪の中を歩き物資を探索するシーンでは「風ト廃墟ノ散歩道」が流れます。

風ト廃墟ノ散歩道

風ト廃墟ノ散歩道

散歩感のある(?)BGMですね。
周辺探索の道中、雪の中に打ち捨てられた様々な武器兵器が目に入ってきます。
終末世界感をこれでもかというほど与えてくれますね。


「昔の人は食糧不足なのになんで武器ばっかり作るのか」というユーリの素朴な発言。 少女終末旅行はこういう発言が毎回心にのしかかる作品ですね。

そしてこの”食糧と武器”という話題は、後ほど5つのレーションを分け合うシーンで回収されることになります。

「予兆ト警戒」と「チーズって何?」のギャップ

5つめのレーションを奪ったユーリがチトに銃を突きつけるシーンでは「予兆と警戒」が使われました。

予兆ト警戒

予兆ト警戒

シリアスめな曲目の少ないこの作品ですが、このシーンはつきつけられた銃の緊迫感を煽るように使われていました。
初回ということもあり、まだ世界観がつかめない段階でこのシーンを見たときは少し不安感を覚えました。


ただ、その後ユーリがレーションをパクリと食べてしまいチトが怒るシーンでは、一転してコミカル「チーズって何?」というBGMが使われました。

チーズって何?

チーズって何?

結構前後で雰囲気にギャップのあるシーンのように思います。
でもこれは見ている側としてはありがたい設計で、「あ、もう安心していいんだな」っていうのが一発でわかったんです。
また、仮にもしBGMが無かったら、チトが本気で怒っているのか否かの判別に一瞬戸惑ってしまう可能性もあります。


こう考えると、ここでは劇伴音楽が見ている側の感情を誘導してくれる役割を果たしていると思われます。

雪の上でたわむれる二人と「静寂の旅路」+「前進」と「停滞」に関する考察

二人が飛行機の上で横たわり、雪を食べたりたわむれたりするシーンでは「静寂の旅路」が使われました。

静寂ノ旅路

静寂ノ旅路

やわらかく見守り包み込むようなコーラスと、画面の大半を占める雪の白が雰囲気作ってて良いですね〜。
第1話は物語冒頭と最後尾にコーラス入りの曲が使われていて、ほんとうに贅沢です。


このシーンって特に何をしているわけでも物語が進むわけでもないんですけど、逆にそういう時間にこそ魅力を感じられるのが少女終末旅行だと思います。
前へ前へ進んでばかりじゃなくて、たまには立ち止まってゆったり時間を過ごしていこうよ、という姿勢がこのアニメの随所に感じられます。


少し進んではまた立ち止まる。

つまり、一歩「前進」した後には、充実した「停滞」を楽しめるのが、この二人の旅の魅力ではないでしょうか。




例えばこの話「戦争」で言えば、「前進」は、物資探索を行い旅に使える爆薬や食料を手に入れる事に相当するでしょう。


そしてそれぞれの「前進」のシーンには劇伴音楽が使われています。

物資を求めて雪の中を歩いていくシーンでは「風ト廃墟ノ散歩道」。(前述)
レーションを発見し、爆薬などと共に荷台へ積み込むシーンでは「あの瓦礫の向こうへ」

それぞれのシーンで、前へ進む・移動するといった物理的な「前進」や、物資の確保のような”事態が進展する、好転する”といった、進捗が生まれるという意味での「前進」が描かれています。
ここでの劇伴音楽は、物事を前へ前へと前進させる役割を負っていると予想できそうです。


そして、この話での「停滞」とは、何をするでもなく雪の上でたわむれているラストシーンに相当するでしょう。
このシーンでは二人は同じ場所に留まり、何か事態が進展しているわけでもありません。

しかし不思議なもので、こういうシーンこそ感慨を持って眺めてしまいます。
この作品の魅力は、「停滞」を否定的に捉えておらず、むしろそこに価値を見出していく点にもあると思います。

そして、その充実した「停滞」が持つ空気感・時間の流れを演出するものの一つが、劇伴音楽であるのではないかと思います。




もう一つ例を出せば、前半の話「星空」も、”少しの前進と充実した停滞”という流れで捉えられると思います。


この話では、出口の分からなかった状態からよだれによる解決法を見つけて外の世界へたどり着くという「前進」がまず描かれます。
そしてその過程では、ケッテンクラートに乗って地下を進む物理的な「前進」も描かれています。

劇伴音楽で言えば、「チトとユーリ」「弾ム心」の部分に相当します。


そして出口を見つけ外に出ると、二人はケッテンクラートを降り、打ち上げとばかりにスープや星空と共にゆったりとした「停滞」を享受しています。
さらに言えば、星空の下に降りてから、ケッテンクラートの進むシーンがありません。ここにも、物理的な「停滞」がみられます。
そしてここでも「停滞」を彩るための音楽が使われます。

時ノ記憶

時ノ記憶


このように、「少女終末旅行」における劇伴音楽の役割の一つが、二人の旅における「前進」から「停滞」(そしてまた次への「前進」)という流れを支え、彩る事にあるのではないか、と考えています。



もちろん、第1話だけから分かるような事ではないため、これから先の話数もしっかり劇伴音楽を楽しみ、考えていきたいと思っています。
「前進」と「停滞」という枠組みに関して、一つのピークは第6話にあると考えていますが、それはその時が来たらまた文章を書きたいと思います。



ということで、以上で第1話劇伴音楽振り返りを終了したいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回へ続く。 -> 第2話はこちらから

いちアニメファンの読む ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(2)

↓↓前回記事↓↓

いちアニメファンの読む ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(1) - アニメと日々を見聴きする。

映画にとって音とはなにか

映画にとって音とはなにか

前回の読書感想文の続きです。

今回はアニメの話少なめで純粋な読書感想となっています。

音楽の自律性

音楽の“自律性”と称し、音楽が映画の中にある音の中でも特別な地位を占めている事が主張されました。


第1部では、効果音や話し声などの音は映像に対して従属的であるというような話がありました。
しかし音楽は、物語の中で一定の役割を果たしつつも、常に映像や物語を”無視”できるような自律性を持つと書かれています。

つまり例えば、ある映画のワンシーンで使われた音楽は、別の映画のあるシーンで差し替えてみても違和感なくやっていけるというのです。
(そういった実験の例も示されています。)


TV放映されるアニメ(ドラマ)などで、同じ劇伴音楽を違う話数の違うシーンで何度も使い回せるのも、この自律性による所があるのかなと思います。音楽が「特定の映像やシーンでないと使えない」事は無いという例ではないでしょうか。
(フィルムスコアリングのように、特定のシーンのために音楽と映像を合わせて作る曲もありますが、この場合でも音楽の自律性は失われないはずです。)


一方、映画のPVや予告などの存在を思い出すと、音楽以外の音でも一見”自律性”を持っているかのように見えてしまう事があります。
例えば予告編の中で挿入されているセリフって、必ずしも本編中の該当シーンの映像に伴って使われない場合が多いと思うんです。
(たぶんどんな映画の予告編を見てもだいたい言いたいことが分かってもらえるかと……)

PVや予告映像における音って、本編中とは違う考え方で配置され使われているのかな、などと思ってしまいます。

音楽の果たす役割 - ライトモチーフ

第2部の中盤では、音楽が映画の中で果たす役割について様々な形で触れられていましたが、読んでいて一番具体性をもって理解できたのは「ライトモチーフ」の使用法に関してでした。

ライトモチーフは映画の中で人や場所、概念などを表象する音楽(誰々のテーマ、のような)ですが、ただ同じモチーフを繰り返し使えば良いというのでは無く、構造や対立などの要素を伴って使われるべきだとの指摘がありました。


構造や対立と言われても何のことやらあまり想像が湧かなかったのですが、作品『テリエの館』の分析の具体例を見ると分かりやすかったです。
この本の良い点の一つは、映画作品を元に実際にシオンが分析を展開してくれる部分が非常に具体的で面白く、かつその映画を知らない人(私のような)でも分かるように解説が書かれている所だと思います。

この分析では、劇が進むとともにライトモチーフがどう変容し、またどのモチーフがどの別のモチーフと対立関係にあるか、そしてこれらが物語の構造とどう絡み合うか……などが、映画全体を追いながら書かれています。
これは、劇伴音楽好きな方なら一読の価値あり、という部分でした。


ライトモチーフの他にも、

時空間の伸長
感情の表現

といった役割についての説明がありましたが、ここは私の読解不足もあり理解が及ばず、十分納得できない部分も多かったのでここでは記しません。
特に、”場所の場所”と、”非感情移入的音楽”の概念にあまりしっくり来ませんでした……。

楽器をいかに撮影するか

楽器による演奏をいかに撮るか、という話題に触れられていました。

十分理解できない記述も多かったのですが、要するに「楽器による演奏シーンの撮影は難しい」というふうに思います(笑)
様々なアイデアに触れられていましたが、必ずしも唯一つの正解は無いように思えます。


例えばオーケストラの演奏を映すテレビ番組などを見ていると、カメラに映す奏者を数秒ごとに切り替えて撮る方法が頻繁にみられます。
ソロパートが始まればそのソロ楽器の奏者を映したり、時には指揮者を映したり、たまに全体を俯瞰するように引いてみたり……というように、オーケストラの断片断片を次々に切り替えていく手法です。

ただ、ミシェル・シオンはこのような”カットの作り方”には否定的なようです。このような撮り方は”演奏を粉々に砕いてしまう”と表現されています。
(私個人としてはそこまで違和感はないのですが……。)
映画作品の例を出しつつ、”ロングショット”を使うなど、他の演奏の撮り方の可能性について紹介しています。


また、演奏を題材にした映画の場合、

どんな曲を演奏シーンに用いるのか?(誰もが知る名曲か?オリジナルか?)
どんな質の音にするか?(豊かな響き?貧弱な響き?)

などの観点も重要なものとして書かれていました。
こうした要素によって、物語の中の演奏がスクリーン内に含まれて聴こえるか、オーケストラピット(スクリーンの外)の音楽のように聴こえるかといった違いが生まれるのだと理解しました。



アニメの例を考えると、真っ先に響け!ユーフォニアムがでてきました。
これは高校の吹奏楽部を題材にしたアニメで、当然演奏シーンが数多く現れました。その演奏シーンの映像のクオリティの高さでも、高い評価を得ているアニメです。


演奏の撮り方を見ると、オーケストラを映すテレビ番組のように、奏者を断片的に切り替えながら写していく”ふつうの”方法がよく取られています。
ただ、全てが普通のテレビのように撮影されているわけでもありません。

例えば、演奏自体を撮影するのではなく、演奏から登場人物が想起する感情・想い出を撮影する意図のカットが度々挟まれていると思います。
「想い出ショット」とでも呼べばいいでしょうか(笑)。(筆者の造語です。)


第2期第5話での、オリジナル曲「三日月の舞」の演奏シーンを見てみます。

基本的には奏者を断片的に撮影していく方法で演奏シーンが進みます。しかしその中にも、

楽譜に貼られた想い出の写真にクローズアップ
コンクールB組の舞台裏での様子のショット
舞台裏でソロを聞く人物のショット
主人公久美子の回想シーン

などが挟まっており、これらは「想い出ショット」に該当するでしょう。

よく見てみると、「想い出ショット」曲の中間部分に多く集中して使われているように見られます。
曲の緩急に合わせて撮影の趣向を変えることにより、映像にも緩急がつくのかもしれません。

また、スローモーションで奏者を抜くショットもありましたが、等速よりも躍動感が伝わって来る気がします。



いずれにせよ、「楽器の演奏をどう撮るか」という課題は簡単ではなさそうです。
今後演奏シーンのある作品を見るときは、こんな観点で見てみても面白いかもしれないです。

さいごに、読み終わって

アニメや映画の音に関して、どのような考えがあるのかを知るという目的では、今まで考えてもみなかった切り口や概念をいくつか知ることができ、とても身になりました。
音の3つの分類、音楽の自律性、どう演奏を撮るか、など面白い観点がたくさんありました。


ただ、私の映画に関する知識不足もあるとは思いますが、本に書いてあること全てを手放しに鵜呑みにはできませんでした。
どういう論拠でそれを主張しているのか、私には十分に理解できない箇所もかなり多かったです。(特に第2部に多いように感じました。)


個別の作品分析はかなり面白い場合が多かったです(『抵抗』『テリエの館』など)。

映画オタクでも無い私は分析されている作品の事を事前に知りませんでしたが、全く内容を知らない状態からでも、いかにその作品を音で演出できているかという点の説明が、物語のあらすじと共に非常に丁寧になされていたので助かりました。
このような分析からは、どのように音楽や音の配置を捉えれば作品との関連性が見えてくるかという「作品の聴き方」に関する知見が得られ、とても有用でした。

ただ、こういった”分析”も面白いですが、純粋に劇伴音楽を音楽として楽しみたいという姿勢も持っていたいなと私は思っています。



最後に、この本の途中にもあったように「本当に良い劇伴音楽は目立たず気付かれないものだ(謙遜の規則)」という点を忘れてはいけないかなと思います。
要は、音の演出効果って本来はほぼ無意識なレベルで視聴者に訴えかけてくるものなのだと思います。

ですから、一番見失ってはいけないのは「まず作品全体を楽しむこと」であり、「そろそろ音楽に注目して見るかな〜」というのはその作品を2,3周くらいし終わってからがちょうど良いのだろうと思います。


面白い概念や着眼点をいくつか吸収できたので、充実した本でした。またそれとは別に、純粋にアニメや物語全体を楽しむ心も、忘れたくないと思います。

いちアニメファンの読む ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(1)

映画と音、音楽に関する本、ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』を読み終わったので、読みながら考えた事をアニメの例も多少交えつつ記しておきたいと思います。

映画にとって音とはなにか

映画にとって音とはなにか

※この記事は、本の内容や主張について詳細にまとめたものではありません。

今回はこの本の第1部及び第3部(音全般に関する部分)中心の話題です。

この本を手に取った理由

前提として、私は映画全般のファンではなく、いちアニメファンであるという事があります。


アニメ作品というと、まずはその作り込まれた個性的な映像、それから声優による渾身の演技などが注目されやすいと思います。
しかし、音楽や効果音といった「音」の要素にも、ふつう意識して耳を傾けることはないものの、アニメの魅力が詰まっていると感じます。


アニメ作品の聴覚的な要素を考えてみると、

セリフ
効果音(Sound effects)
音楽

という3つの主な要素があると思っています。
もちろん、物語の理解のためにはセリフの重要度が高いことは分かります。しかし、音楽や効果音だってその物語の演出に聴覚的に一役買うことのできるモノなんじゃないか?と、思うのです。劇伴音楽の良さなども、作品の重要な魅力の一つですよね。


そこでふと、「アニメの音楽、音に関して一般的にどんなことが考えられているんだろう?」という点について、少し知ってみたいと思ったわけです。
もちろん普段アニメを見る中で、「ここいい曲だな」とか「ここ面白い音の演出だな」とか個別に味わう楽しさはあるのですが、一方で一般論として、音と映像・物語との関係に関してどんな事が知られているのかを”勉強”してみたくもなったのです。


残念ながらアニメ(特に日本のアニメ)に絞ってそういった内容を書いた文献は、私の知る範囲ではありませんでした。
そこで映画一般に関して書かれた本を検索し、たどり着いたのがこの『映画にとって音とは何か』でした。

もちろん映画一般に関する論ではあり、私が手に取るにはハードルが高くも思いましたが、きっとアニメに通づるところもあると期待をして読んでみました。
そしてその期待は裏切られなかったように思います。


以下で、内容に関し特に気になったことを書き記します。

音の3つの分類

音は映像に対して割り当てられるという主張を軸にして、音を映像との関係性の中で

フレーム内の音(画面の中に音源がある)
フレーム外の音(画面に隣接する空間に音源はあるが、画面には映されてない)
オフの音(画面で示す場面とは別の時空にある音源)

という3つに分類していました。例を考えれば、

フレーム内の音 : 画面に映ってる人のセリフ、足音
フレーム外の音 : 画面には映ってないが隣にいる人のセリフ、画面外から聞こえる車の音など
オフの音 : ナレーション、劇伴音楽

などでしょう。


また、3つの分類の間の境界領域の使われ方も語られており、これがとても重要なものに思えます。
例えば『抵抗』という作品の分析での、「フレーム外の音→フレーム内の音」と音が境界を越える事自体がドラマの進展を反映しており劇的な効果を生む、との指摘は興味深かったです。
「フレーム外の音とオフの音」の境界の不明瞭さが際立つ作品の例もあり、そのような場合に生み出される特殊な効果も説明されました。



3つの分類の境界に関して私が思い当たる例の1つは、日常系アニメなどでありがちな”大げさな”効果音です。
生身の人がジャンプするだけで「ぴょぃん」みたいな”現実ではあり得ない音”が出たりするヤツです。


例えばアニメ「みなみけ第1期などを見てみましょう。
別にこのアニメに限る必要はないですが、単なる筆者の好みです。
第1話の冒頭、夏奈が布団からはね起きる時の効果音なんかはその例です。

gyao.yahoo.co.jp

普通の物理法則を考えれば人が起き上がるだけでおかしな音は出ないため、「オフの音(=作品の世界では鳴っていない音)」の性格を持ちますが、一方でどう見ても起き上がる動作に追随して鳴っているように聞こえるため、「フレーム内の音」とも捉えられると思います。
ああいう音は、「フレーム内の音とオフの音」の境界に位置していると、考えられないでしょうか。
この本では「フレーム内の音とオフの音」の境界を超えるのはもっぱら音楽であると言っていますが、今の例は効果音の例です。


こうした効果音を、分類の境界にある音と捉えてみると、なんだか不思議な魅力が詰まっているように感じます。
今の例だと、効果音によって起き上がる動作を多少コミカルに演出できますよね。


この3つの分類の話題は、この本でもっとも印象に残った部分でもありました。

リアリズムに関する懸念

マルチ・サウンドを使って音を”リアルに”空間的に配置することの是非について議論がなされていました。
これは例えば、画面の中で車が右から左に走ったら、映画館でスピーカーから出る車の音も右から左へと移動させるような音の配置についてです。


ミシェル・シオンは、音の空間的なリアリズムに関する懸念をいくつか表明していました。
その一つがショットの不連続性で、例えば画面左端で話す人物を次のショットで画面中央に正面から映す場合、リアルに音を配置してしまうと、ショットの遷移前後で話し声が左のスピーカーから中央のスピーカーへと”不連続に”移動し、ショット間の不連続性が目立つというものでした。
つまりここに、空間的な音のリアリズムを取るべきか音の連続的なつながりを取るべきかという二者択一があると言うのです。

妥協的な対策としては、劇伴音楽や効果音・セリフの密度を上げることでつなぎの不連続さを分からないように”ごまかす”手法が指摘されていました。


いち視聴者としては、正直なところ「そんなに気になるか?」とも思うのですが……
普段気にした事がないからこそ、面白い指摘でもありました。


この点に関して、私が最近見たアニメ「ガールズアンドパンツァー」の例がすぐに思い浮かびました。 ガルパンには数々の迫力のある戦車道の試合シーンがあり、そこでは多くの戦車が画面の中を縦横無尽に動き回ります。

戦車道の試合シーンでは音響もリアルに作られており、まさにここで問題にされている通りに、「画面内の動きに合わせて音もスピーカーの位置を変えて動き回る」ように作られている場面が多いです。
このように音の空間的なリアルさを追求すれば、音の不連続さによる不具合も出るだろう、というのがシオンの指摘でした。



この本を読んだ後、”音がリアルな”作品の例として、改めてガールズアンドパンツァーの劇場版を鑑賞してみました。

(2017年11月24日現在、Amazon primeで視聴可能なようです。)

すると確かに、戦車と砲弾の音だけが響くシーンで、ショットと共に音が不連続に切り替わる場面が存在するように思えました。
例えば、最初の親善試合の市街戦などをみると、顕著にわかるシーンがいくつかあると思います。
同じ砲弾でも奥から手前へ撃たれたのが次のショットでは右から左へ飛んだり、同じ戦車の移動音が画面中央で聞こえていたのが次のショットでは右から左へ横切ったり、という具合です。
親善試合に限った話ではなく、終盤の試合でも同様なシーンが見つけられました。


シオンはこの”リアルさ”に否定的な部分を見出していますが、人によってはこれをポジティブに捉える事もあると思います。実際私の感想としては、強く気になるほどの不連続な印象は持ちませんでした。
ただよくよく聴いてみると、ショット間の音の繋ぎが他より断絶されて聴こえるのは確かです。
しかしその分、実際そのアングルで試合を見ているかのような臨場感が感じられるメリットがあるのです。


なぜ不連続さがさほど気にならなかったのか?
そのためにどんな工夫がしてあるのか?
などを考えてみるのも面白いかと思いました。
考えられる要因の一つには、この本で指摘されているように劇伴音楽の効果もありそうです。



また、一人称視点でカメラアングルがぐるりと回転するようなショットで生じる問題点についても、この本で指摘がありました。
視点の回転に合わせて音の位置もうまく動かさないと、音が映像から孤立してしまうというものです。

ガルパン劇場版ではこの点に関しても、とことんリアルを追求する方向で対処しているように思えました。
例えば、最終決戦シーンにおいて西住みほ一人称視点で進む一部分では、視点がかなり急激に回転するのと同期して、聞こえる音も回転するように処理されていました。



ともかく、空間的な音のリアリズムをとるか音の連続性を重んじるかという二者択一がある事は、考えたことも無かったため面白い指摘ではありました。

効果音のリアリズムの加減

第3部ではフランスの映画製作の現場向けの実務的な提言が多かったのですが、その中でもいち鑑賞者として有用な記述がありました。
効果音のリアリズムの加減という話題です。

これは、画面の中で音を立ててもおかしくない物には全て効果音をつけるという姿勢への提言(苦言?)でした。
映画が不必要な音で溢れた結果、音による劇的な効果を生み出せなくなってしまうことへの懸念が示されています。


ここでシオンは、

その場面の意味や表現したい事に従って音の取捨選択をする事(=リアリズムの加減)
ありふれた効果音でも、演技や動きに合わせて配置することで演出効果を生み出せる事

を指摘しています。

ただ第1部の「冗長性」の項で議論されているように、このような”音による意味づけや性格付け”は、成功しても視聴者には認知されないまま効果を発揮するのが望ましいのです。
ですから、初めからこういう工夫ばかり気にして作品鑑賞するのは正しい姿勢ではないかもなとも思いました。

謙遜の規則

映画に使われる音楽に課される条件に関して「謙遜の規則」と称し、”映画音楽は、良質であっても目立たないように/無意識に捉えられるようすべきだ”という主張がなされています。


私は、「あんまり音楽が出張りすぎてもいけない」という要求にはおおむね納得できるのですが、ではその要求はどういう論理で正当化されるのか?という点にあまり理解が及びませんでした。

この本では、「多くの映画監督や作曲家が謙遜の規則を支持している」という根拠によって正当化されています。
「えらい監督たちがそう言ってるから〜」と言われると、まあじゃあそうなのかな…と引き下がってしまいそうになりますが、そこはもう少し解説があったらうれしかったな、と思います。


勝手に考えてみると、例えば音楽が目立ってはいけない理由の1つとして、「セリフを邪魔してはいけないから」という点がすぐ思いつきます。
物語のキーとなる重要な状況説明をセリフで行っているシーンで、注意力を持ってかれるような音楽が鳴っていたら困りますよね。
でもそれは全てのシーンに当てはまる訳ではなく、じゃあセリフが無いシーンではどれくらい音楽は主張して良いか?などは別個に考えていく必要があるんじゃないかな、などと思ってしまいます。


なんにせよ、「どういう理由で謙遜の規則が正当化されるのか?」という点についてもう少し説明が欲しかったし、考える余地のある部分かなとも思います。



またむしろ、音楽を積極的に聴くことで作品の面白みを享受できるような場合もあると個人的には思います。

有名なアメリカのカートゥーントムとジェリーでは、音楽が映像の動きとリンクする”ミッキーマウシング”がかなり過度に行われています。
こういう例では、音楽は無意識で捉えられた方が良いとは一概に言えないような気がします。


例えば「目茶苦茶ゴルフ」の冒頭部分が私は結構好きなんですが……

(著作権は切れてるらしいですが、youtubeなどにupされてるのが本当に問題ないのか自信がないため一応リンクは貼らないでおきます。検索すれば出てきますが。)

この話の冒頭では、タイトル場面で鳴っていた曲がそのまま劇中音楽へと移行していき、一方本編ではまず荒れたゴルフ場の風景が映し出されます。
そしてしばらくゴルフ場をカメラが移動していくと、バンカーにはまった球を出そうと必死の形相でゴルフクラブをスイングするトムが現れます。
そしてそのリズミカルなゴルフクラブのスイング動作が、ずっと鳴っていた劇中音楽のテンポと一致していてギャグとなる、というシーンなのです。


音楽のテンポがギャグに直結するこの場面について、「音楽が意識して聴かれない方が良い」と主張するのは果たして可能でしょうか。
私は、音楽と映像に同等に意識を向けて見た方が、このシーンのコミカルさをより楽しめるはずだと考えました。


これは少し極端な例ではありますが、こういう妄想を通して、どこまで音楽は目立たずに在るべきか?というのはまだまだ考える余地のある話題かな、とも感じました。




最後少し第2部の内容に入りましたが、残りの感想はまたの機会にします。

【総括】響け!ユーフォニアム2をサウンドトラックで振り返る

響け!ユーフォニアム2をサウンドトラックで振り返る-劇伴音楽使用シーンまとめ」と題して書いてきた記事群について、総括として書き留めておきます。

記事の概要

テレビアニメ響け!ユーフォニアム2の中で、劇伴音楽の使われたシーンを中心にピックアップしてストーリーの振り返り感想を書くという記事を、全8回に分けて書きました。
各話数ごとに、劇伴の使われたシーンと曲の対応表を作成しました。


純粋にシーンの感想を書いたり、面白かった演出を振り返ったり、選曲について考察したり、曲そのものについて感想を書いたりと、終わってみれば取り留め無い記事になってしまった気もします(笑)


劇伴音楽に着目し、BGMの使われていないシーンは触れない事も多かった為、網羅的に触れられてない部分も多く「あの重要なシーンが無い!」などはあるかもしれませんのでご承知ください。

各記事へのリンク

各記事へのリンクまとめです。

第1話

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第2話、第3話

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第4話、第5話

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第6話、第7話

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第8話

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第9話、第10話

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第11話、第12話

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第13話

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総括

1~13話通した時に特筆すべき点をいくつか記しておきたいと思います。

[トラック番号の表記法について]
曲番号は、 TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』オリジナルサウンドトラック「おんがくエンドレス」に準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。 例えば"1_5"なら、「おんがくエンドレス」のディスク1の5曲目を指します。
[注]Ⅰ_1_28のようにローマ数字のⅠがついた番号は、響け!ユーフォニアム第1期のサウンドトラック「おもいでミュージック」からの使用曲となっています。

1期と2期のサウンドトラックの使い分け

演奏シーンをメインに据えた話か否かによって、第1期と第2期の劇伴音楽を切り替えてメリハリがつけられていました。

第6,7話の記事などで触れましたので、詳しくは割愛します。

2年生編と3年生編の区分け

輪郭のぼやけたシンセサイザー音を含む曲を用いて、2年生編(希美・みぞれの話)と3年生編(あすかの話)の区分けが成されていました。


サウンドトラック「おんがくエンドレス」Disc1に収録された劇伴音楽のうち、このような"もやもやした"シンセ音が活躍する曲は、*1

1_9 静謐なる心
1_20 陰る心
1_21 落ちきった心情

の3曲ですが、これらは全て第1話~第4話の間だけに限定して使われており、それ以降の話数では一切使われていません。


希美・みぞれの話とそれ以降のあすかの話(原作で言えば、2巻と3巻)の雰囲気の違いを、このような音の有無によって聴覚的に色分けしているとみられます。

効果音もわりと無視できない

登場人物の気持ちや場の空気感は、時に効果音にのせられてうまく表現される事もあることを、振り返る中で実感しました。


例えば第8話の記事で触れたように、麻美子によって開けられるドアの音にその時の心情が反映されているように聞こえます。
第9話の下校シーンでの、スズメのさえずりとカラスの鳴き声の対比なども、BGMのオンオフと相まって場面の雰囲気の変化を出すのに一役買っている気がします。

劇伴音楽ばかり注目して書いてきましたが、効果音の重要さも案外ばかにならないことを学びました。

劇伴が鳴ってなくても重要なシーンはたくさんある

これは当たり前なんですけどね…(笑)


BGMの使われたシーンだけを追っていくと、ある程度はダイジェストが追えるようにはなっていますが、しかしそれだけでは大事なシーンを取り落としてしまう事が多々有ります。
むしろ、音楽を消す事で雰囲気を作るというシーンもありますしね。

そういう点については、今回の振り返りでは拾いきれなかった所もあると思います。

散りばめられた「響け!ユーフォニアム」の旋律

劇中にまんべんなく響け!ユーフォニアム」の旋律が散りばめられていました。


1_26 響け!ユーフォニアム(Last Ver.)
2_10 響け!ユーフォニアム(朝もや Ver.)
1_16 響け!ユーフォニアム(久美子と二人きり Ver.)

など直接ユーフォニアムの演奏がある場面はもちろんですが、

1_2 新たな始まり
Ⅰ_1_28 重なる心

など、「響け!ユーフォニアム」の旋律が含まれる劇伴音楽も何回も使われており、以上5曲のいずれかが使われた話数は全部で7回と(1,3,4,9,10,12,13話)、全話数の実に半分を占めます。


このように見ると、このメロディーが、あすかの物語という軸を全話に渡って支え続けた大切なモチーフであることが感じられます。

総使用回数集計結果

第2期のディスク1から、OPとEDと吹奏楽曲を除いた、いわゆる劇伴音楽の総使用回数をまとめました。

f:id:r_lin:20171117221552p:plain

使用回数の多い曲

栄えある(?)第1位は、


平穏なる日々 - 使用回数8回

平穏なる日々

平穏なる日々


そして、同率2位


背中を押すもの、郷愁から芽吹くもの - 使用回数7回

背中を押すもの

背中を押すもの

郷愁から芽吹くもの

郷愁から芽吹くもの


でした。

ほとんどの話数で、これらのどれかの曲を聴いていたことになりますね。


この3曲はいずれもピアノと弦楽器のみで編成されていて、テンポもゆったりとしたもので、その純朴なメロディーには安心感があります。
いい意味で"空気のような"BGMで、多く使われていたのも納得です。

久美子達の吹く管楽器の音(特にユーフォニアム)が物語の中で際立つよう、全編に渡ってピアノと弦による真っ白なキャンパスを用意してくれているかのようです。

使用されなかった曲

本編未使用だけれどサントラに収録されている曲もあるようで、


謳歌する若者、必然という冷酷 - 使用回数0回

謳歌する若者

謳歌する若者

必然という冷酷

必然という冷酷


がそうでした。
確かに本編中聴かなかったような…

使用回数が少なかった曲

1箇所しか使用されなかった曲が全部で4つあり、


静謐なる心、戸惑い泳ぐ、人生の蹉跌、重なる経験 - 使用回数1回


「静謐なる心」は、第4話の希美とみぞれの対話シーン。

「戸惑い泳ぐ」は、第1話で低音の練習教室に希美が現れあすかに頭をさげるシーン。

「人生の蹉跌」は、第8話で麻美子と父がやり取りするシーン。

「重なる経験」は、第6話で、あすかの組の学園祭の出し物に久美子が訪れたシーンです。


特に「静謐なる心」はまさにあのシーンのために存在するような曲だと、個人的には思えてしまいます。
4曲全て、該当話数の記事にて取り上げていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

おまけ - 劇伴音楽の密度について調べてみた

劇伴音楽の密度が各話ごとにどうなってるか調べたのですが、大した事は分からなかったのでおまけとして載せておきます。


そもそも劇伴音楽の密度ってなんだよ!?
とまずなると思います。これは私が勝手に


劇伴音楽密度 =(劇伴音楽の使用されていた時間) / (本編の時間)


という割り算をした数値をそう命名しただけです。

ここで「本編の時間」とは、アニメが始まってから終わるまでの時間のうち、OPとEDの時間を除いた時間の事です。
劇伴音楽の使用されていた時間は、各記事で調べたストーリー-サウンドトラック対応表を使って集計しました。


要は、本編のうちどれくらいの割合劇伴が使われているかの指標です。
例えば「劇伴音楽密度=0.5」だったら、本編時間の50%、つまり劇中の半分は劇伴音楽が流れている計算になります。


これを調べた結果が以下になります。(エクセルで書いただけ)

f:id:r_lin:20171118105653p:plain

各話数(1~13)について、縦軸に劇伴音楽密度の数値を取って作った折れ線グラフです。

一番密度が高いのは最終回で、0.75なので本編の3/4は劇伴が使われていたことになります。
次に第5話が密度が高く、本編の70%は劇伴が使われていました。
平均的には50~60%なのを見ると、これらの回は大きいと思われます。


ただ、これは結構当たり前の結果で、
演奏シーンが長かったらそりゃ密度も大きくなるだろ!
というだけの事です。
5話は関西大会の三日月の舞fullがありますし、最終話は卒部会の演奏シーンがありますからね。



じゃあ「演奏シーン以外の部分について密度を計算し直したらどうか?」と思い、今度は


[ (劇伴音楽の使用されていた時間) - (演奏シーンの時間) ] / [ (本編の時間) - (演奏シーンの時間) ]


と、演奏シーンの部分を引いて密度を見てみました。
ここで「演奏シーンの時間」とは、サントラ『おんがくエンドレス』のDisc2に収録されている吹奏楽曲が流れている間の時間の総計です。


同様にグラフを作ってみると、 f:id:r_lin:20171118110036p:plain

だいたい53%前後という所でしょう。
ただ、依然として最終話だけは少し他より劇伴音楽の割合が大きいのは、少し特徴的かもしれません。



ということで、せっかく作ったので載せてみよう程度のおまけでした。

劇場版との比較とかやったら面白そうだと思いました。多分劇場版の方が密度は低い気がするんですが。

おわりに

ということでユーフォのテレビシリーズ2期について劇伴音楽について振り返ってきました。

読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。


正直、第1期の方も同様の調査をしたい気持ちになってます。

また、最初の記事で劇場版との比較もやりたいみたいな事をいっていましたが、まだそこには及ばず…という感じになってしまいました。劇場版のBD購入したら腰を据えてやろうかなと思います。

それではこのあたりで。

*1:"もやもやした音"の定義はかなり主観によるところがありますが、これらの3曲を聴いていただければなんとなく言いたいことは伝わるかと…

響け!ユーフォニアム2 第13話をサウンドトラックで振り返る-劇伴音楽使用シーンまとめ

テレビアニメ響け!ユーフォニアム2 本編において、
どういうシーンでどのBGMが使われたのか?
を各話ごとに整理し、それに沿って各シーンや曲を振り返るシリーズ記事です。


今回は第13話を振り返ります。
前回(第11話、第12話)はこちらからどうぞ。


ついに最終回ですね。

  • 第13話 ストーリー-サウンドトラック収録曲対応表
  • 第13話
    • 次期部長・副部長選出と「微かな光」
    • あすか・葵と話す久美子と「運命の流れ」
    • 1,2年生メンバーによる「三日月の舞(short)」
    • あすかを探し駆け回る久美子と「はじまりの旋律」
    • あすかとの会話と別れ、「新たな始まり」

第13話 ストーリー-サウンドトラック収録曲対応表

今回は第13話「はるさきエピローグ」です。劇伴使用シーンのまとめは以下の画像のようになりました。

f:id:r_lin:20171115214933p:plain

※鳴り始め・鳴り終わりは、各話開始時点から測った時間です。

曲番号は、 TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』オリジナルサウンドトラック「おんがくエンドレス」に準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。 例えば"1_5"なら、「おんがくエンドレス」のディスク1の5曲目を指します。
[注]Ⅰ_1_28のようにローマ数字のⅠがついた番号は、響け!ユーフォニアム第1期のサウンドトラック「おもいでミュージック」からの使用曲となっています。



第13話は最終回。卒業までの日々や、卒部会での演奏シーン、あすかとの別れなど、エピローグとはいえ盛りだくさんです。

第13話

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響け!ユーフォニアム2 第11,12話をサウンドトラックで振り返る-劇伴音楽使用シーンまとめ

テレビアニメ響け!ユーフォニアム2 本編において、
どういうシーンでどのBGMが使われたのか?
を各話ごとに整理し、それに沿って各シーンや曲を振り返るシリーズ記事です。


今回は第11話、第12話を振り返ります。
前回(第9話、第10話)はこちらからどうぞ。
次回(第13話)はこちらからどうぞ。


前回までより肩の力を抜いて書いたので、肩の力を抜いてご覧ください。

  • 第11,12話 ストーリー-サウンドトラック収録曲対応表
  • 第11話
    • 麗奈に話しかける久美子と「突き進むべきである」
    • 職員室で滝の奥さんの話をきく麗奈と「背中を押すもの」
    • 麗奈のお墓参りと決意、「吹き抜ける風のように」
  • 第12話
    • 一同に集う各校と「一途な瞳」
    • 全国大会の舞台裏と「重なる心」
    • 久美子と麻美子の対話と「平穏なる日々」

第11,12話 ストーリー-サウンドトラック収録曲対応表

今回は第11話「はつこいトランペット」及び第12話「さいごのコンクール」です。劇伴使用シーンのまとめは以下の画像のようになりました。

f:id:r_lin:20171111185642p:plain

※鳴り始め・鳴り終わりは、各話開始時点から測った時間です。

曲番号は、 TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』オリジナルサウンドトラック「おんがくエンドレス」に準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。 例えば"1_5"なら、「おんがくエンドレス」のディスク1の5曲目を指します。
[注]Ⅰ_1_28のようにローマ数字のⅠがついた番号は、響け!ユーフォニアム第1期のサウンドトラック「おもいでミュージック」からの使用曲となっています。



第11話では、麗奈と滝の話が掘り下げられ、麗奈が全国大会への決意を新たにします。そして第12話ではいよいよ全国大会本番です。

第11話

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劇場版Fate HF:予告編で使われた劇伴音楽の、本編使用シーンの記録(暫定メモ)

10/14に公開されてから早くも1ヶ月が経とうとしている、劇場版Fate/stay night[Heaven’s feel]
筆者はFateに関してはわりと新規なファンで、セイバールート凛ルートをアニメで予習してから、HFに関しては初見の状態で挑んだわけですが…
とはいうものの、公開前からかなり楽しみにしていた作品で、それまでPVや予告編を何度も流して頭に刷り込んでいました。


そうして何回も予告を見ていると、そこで流れるテーマ音楽がどんどん頭の中に刷り込まれていくんですね。
しかも音楽担当はアニメ界では知らぬ人はほとんどいないであろう、あの梶浦由記さん。筆者も梶浦さんの劇伴はかなり好きなんです。

予告編に使われる曲って、メインテーマとか主題歌とか、重要な曲であることが多いと思うんですよね。
そこで、予告編の曲、実際劇場版本編でどう使われてたっけ?という点を、メモ程度にまとめておこうと思いました。


※本編内容のネタバレは含む記事です。


※記憶違いとかが判明したらその都度加筆・修正されるのでご了承ください。

  • 予告編ででてきた曲たちまとめ
    • (1) - 桜の叫び
    • (2) - セイバーVSライダー
    • (3) - HFのテーマ?
    • (4) - 主題歌「花の唄」アレンジ
    • その他の曲

予告編ででてきた曲たちまとめ

まず予告編を見てどんな音楽があったか復習してみます。

TRAILER | 劇場版「Fate/stay night[Heaven's Feel]」| 第一章 絶賛公開中

こちらの公式サイトのトレーラーから、予告編+CMの5本の動画で使われた、4つの曲に注目することにしました。

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