少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第1話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話を、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして振り返り、劇伴音楽の使われ方について考えたりしていこうと思います。
以前にも劇伴音楽をテーマに振り返り記事を書いたことがあるので、コンセプトがよく分からない場合は参考にどうぞ。↓↓
【総括】響け!ユーフォニアム2をサウンドトラックで振り返る - アニメと日々を見聴きする。
その劇伴音楽ですが、末廣健一郎さんによる「少女終末旅行」オリジナルサウンドトラックが先日発売されました。
- アーティスト: 末廣健一郎
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2017/12/20
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (2件) を見る
聞いたことがない!という方は、まずはこのような記事を読む前に、iTunesなどでポチッと購入して聞いてみることをオススメします。
今回は第1話を振り返ります。
次回(第2話)はこちらから。
はじめに〜なぜ劇伴音楽使用シーンを追う必要があるのか?〜
振り返り感想を書く前に「劇伴音楽の使われたシーンに絞って話を振り返る」事にどんな意味があるのか?という疑問をまず投げかけておきたいと思います。
というのも、この作品ではむしろ音楽の鳴っていないシーンで味わい深い瞬間が詰まっている場合が多いからです。
“だれもいない世界”が舞台のこの作品では、廃墟の中の吹き抜ける風・したたり落ちる水滴の音など、環境音によって濃く雰囲気作りがなされていたり、チトとユーリの会話にも考えさせられるものが多く、音楽以外の音にかなりの情報量が詰まっているアニメだと思います。
そんな中、劇伴音楽の使われたシーンを振り返る事にどんな意味があるのか。
ここでは私の個人的な目的を事前に挙げておきたいと思います。
なおここで挙げた興味は、こちらの末廣さんのインタビュー記事を読みながら浮かんできたものが多いので、ぜひみなさんもこのインタビュー記事だけでも読んでみてください。
1.劇伴音楽はどんな役割を負っているのか?
これが一番大きな興味で、「音楽が話のテーマや展開とどう関わりながら配置されているのか」という点です。
ただ全話通して見るだけでは分からないかもしれませんが、1話ずつゆっくり音楽を振り返れば分かるかもしれません(し、分からないかもしれません)。
どんな意図があってそこにその曲が使われたのか?という事を理解できると、より物語の事を理解できるような気がするのです。
今の時点では「前進」と「停滞」という言葉が一つのキーワードになるのではないかと予想しています。
具体的には、これからの各話振り返りで見ていくことになるでしょう。
「前進」というキーワードは、上に挙げた末廣さんのインタビュー記事に出てきたキーワードでもあります。
2.純粋に、全話振り返りたい
純粋に、1クールが終了してちょうどいい節目なので、何か感想を文章として残しておいても良いかなと思いました。
3ヶ月間かなり楽しませてもらった作品でもあるので。
3.女性コーラス入りの曲の使われ方
これもインタビュー記事に触発されたモチベーションですが、女性コーラス入りの曲が4曲ほどサントラに収録されており、他の曲と比べて使用され方に違いがあったら面白いなと思い、調べてみることにしました。
違いがあるかどうかは調査してみないとわかりませんし、ないかもしれません(笑)
4.音楽の長回しの度合い
これまた上記インタビュー記事に触発された興味です。
末廣さんによると、長めに使えるような曲を多く作ったということですが、実際どれくらい劇伴音楽が長回しされていたのかが気になりました。
以上の4点ほどをモチーベションにして、劇中で劇伴音楽の使われているシーンを振り返って調査していきたいと思います。
というわけでさっそく、今回は第1話を見ていきます。
第1話『「星空」「戦争」』
劇伴音楽とストーリーの対応表は以下になります。
この中からいくつかのシーンをピックアップして振り返り、感想を書いたり劇伴音楽について考えたりしていきたいと思います。
「前進」するケッテンクラートと「瞳ニ映ル景色」
タイトルが表示されると同時に「瞳ニ映ル景色」が流れ始め、これがこの作品の中で一番最初に使われた劇伴音楽となりました。
チトとユーリの乗ったケッテンクラートが暗い地下を前へ前へ進んで行くシーンです。
「瞳ニ映ル景色」のメロディーとなるコーラスには、どこか飛び跳ねるような楽しげな雰囲気を感じます。
誰もいない世界をチトとユーリの二人だけが行くという世界観を体現する、まさに物語冒頭にふさわしいシーンです。
この曲が流れている間はまだチトとユーリのセリフが一切無く、ケッテンクラートの音が響き渡っているだけなので、余計聞き入ってしまいます。
これは、上で挙げたインタビュー記事の中で触れられているように、「前進している感じ」を音楽によって支える一つの典型的なシーンだと思います。
他にも例えば、この後に来るシーンでは、ケッテンクラートでの移動中にBGM「チトとユーリ」が使われています。
さらに、このBGMの鳴り終わるタイミングに着目すると、ケッテンクラートが停車しエンジンを止めるのに対応して音楽も休止する事がわかりました。
これを考えても、「前進」を演出する意図でBGMが付けられているのではないかと予想できます。
今後の話数でも同様に、ケッテンクラートでの移動(から停車まで)に伴い劇伴音楽が使われる例が出てくるので、その都度触れていきたいと思います。
ドラマチックな地下脱出と「弾ム心」
二人がついに出口を探り当て、星空に照らされるシーンでは、「弾ム心」が使用されました。
この曲めっちゃいい曲ですね……
よだれに吹き付ける風を頼りに探すとは、すごい指が寒々しそうな方法ですが……(笑)
二人は着実に出口へと前進し、外の光へ向かいます。
差し込む光に二人が目を閉じ出口をくぐり抜ける瞬間、曲はちょうどピークと小休止を迎え、時が止まったかのような感覚を与えてくれます。
そしてまぶしい光に目を開ける二人とともに、曲は再び最初のメロディーを再現し、また時が動き出します。
完璧なまでにシーンと曲がマッチしていて素敵です。
これを見てこのアニメに引き込まれないわけないじゃないか。
しかしよく考えると、「地下から地上へ出る」、ただそれだけのシーンなんですけどね……
それがこれだけドラマチックになるのは、音楽の力もあるでしょうし、出口をくぐる瞬間の間の置き方、それから過剰なまでにまばゆい光の表現も一役買っているのだろうと感じます。
地下空間から出口・地上の世界へという、旅の「前進」を演出しているとも捉えられるかなと思います。
雪の中の探索と「風ト廃墟ノ散歩道」
二人が雪の中を歩き物資を探索するシーンでは「風ト廃墟ノ散歩道」が流れます。
散歩感のある(?)BGMですね。
周辺探索の道中、雪の中に打ち捨てられた様々な武器兵器が目に入ってきます。
終末世界感をこれでもかというほど与えてくれますね。
「昔の人は食糧不足なのになんで武器ばっかり作るのか」というユーリの素朴な発言。
少女終末旅行はこういう発言が毎回心にのしかかる作品ですね。
そしてこの”食糧と武器”という話題は、後ほど5つのレーションを分け合うシーンで回収されることになります。
「予兆ト警戒」と「チーズって何?」のギャップ
5つめのレーションを奪ったユーリがチトに銃を突きつけるシーンでは「予兆と警戒」が使われました。
シリアスめな曲目の少ないこの作品ですが、このシーンはつきつけられた銃の緊迫感を煽るように使われていました。
初回ということもあり、まだ世界観がつかめない段階でこのシーンを見たときは少し不安感を覚えました。
ただ、その後ユーリがレーションをパクリと食べてしまいチトが怒るシーンでは、一転してコミカルな「チーズって何?」というBGMが使われました。
結構前後で雰囲気にギャップのあるシーンのように思います。
でもこれは見ている側としてはありがたい設計で、「あ、もう安心していいんだな」っていうのが一発でわかったんです。
また、仮にもしBGMが無かったら、チトが本気で怒っているのか否かの判別に一瞬戸惑ってしまう可能性もあります。
こう考えると、ここでは劇伴音楽が見ている側の感情を誘導してくれる役割を果たしていると思われます。
雪の上でたわむれる二人と「静寂の旅路」+「前進」と「停滞」に関する考察
二人が飛行機の上で横たわり、雪を食べたりたわむれたりするシーンでは「静寂の旅路」が使われました。
やわらかく見守り包み込むようなコーラスと、画面の大半を占める雪の白が雰囲気作ってて良いですね〜。
第1話は物語冒頭と最後尾にコーラス入りの曲が使われていて、ほんとうに贅沢です。
このシーンって特に何をしているわけでも物語が進むわけでもないんですけど、逆にそういう時間にこそ魅力を感じられるのが少女終末旅行だと思います。
前へ前へ進んでばかりじゃなくて、たまには立ち止まってゆったり時間を過ごしていこうよ、という姿勢がこのアニメの随所に感じられます。
少し進んではまた立ち止まる。
つまり、一歩「前進」した後には、充実した「停滞」を楽しめるのが、この二人の旅の魅力ではないでしょうか。
例えばこの話「戦争」で言えば、「前進」は、物資探索を行い旅に使える爆薬や食料を手に入れる事に相当するでしょう。
そしてそれぞれの「前進」のシーンには劇伴音楽が使われています。
物資を求めて雪の中を歩いていくシーンでは「風ト廃墟ノ散歩道」。(前述)
レーションを発見し、爆薬などと共に荷台へ積み込むシーンでは「あの瓦礫の向こうへ」。
それぞれのシーンで、前へ進む・移動するといった物理的な「前進」や、物資の確保のような”事態が進展する、好転する”といった、進捗が生まれるという意味での「前進」が描かれています。
ここでの劇伴音楽は、物事を前へ前へと前進させる役割を負っていると予想できそうです。
そして、この話での「停滞」とは、何をするでもなく雪の上でたわむれているラストシーンに相当するでしょう。
このシーンでは二人は同じ場所に留まり、何か事態が進展しているわけでもありません。
しかし不思議なもので、こういうシーンこそ感慨を持って眺めてしまいます。
この作品の魅力は、「停滞」を否定的に捉えておらず、むしろそこに価値を見出していく点にもあると思います。
そして、その充実した「停滞」が持つ空気感・時間の流れを演出するものの一つが、劇伴音楽であるのではないかと思います。
もう一つ例を出せば、前半の話「星空」も、”少しの前進と充実した停滞”という流れで捉えられると思います。
この話では、出口の分からなかった状態からよだれによる解決法を見つけて外の世界へたどり着くという「前進」がまず描かれます。
そしてその過程では、ケッテンクラートに乗って地下を進む物理的な「前進」も描かれています。
劇伴音楽で言えば、「チトとユーリ」「弾ム心」の部分に相当します。
そして出口を見つけ外に出ると、二人はケッテンクラートを降り、打ち上げとばかりにスープや星空と共にゆったりとした「停滞」を享受しています。
さらに言えば、星空の下に降りてから、ケッテンクラートの進むシーンがありません。ここにも、物理的な「停滞」がみられます。
そしてここでも「停滞」を彩るための音楽が使われます。
このように、「少女終末旅行」における劇伴音楽の役割の一つが、二人の旅における「前進」から「停滞」(そしてまた次への「前進」)という流れを支え、彩る事にあるのではないか、と考えています。
もちろん、第1話だけから分かるような事ではないため、これから先の話数もしっかり劇伴音楽を楽しみ、考えていきたいと思っています。
「前進」と「停滞」という枠組みに関して、一つのピークは第6話にあると考えていますが、それはその時が来たらまた文章を書きたいと思います。
ということで、以上で第1話劇伴音楽振り返りを終了したいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回へ続く。 -> 第2話はこちらから