少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第2話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話について、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして、振り返り感想を記したり劇伴音楽の使われ方について考えたりしていきます。
前回分(第1話)はこちらから。
次回(第3,4話)はこちらから。
[注]最終回までのネタバレを含む形で書いているので、まだ全話見ていないという方はご注意ください。
第2話『「風呂」「日記」「洗濯」』
劇伴音楽とストーリーの対応表は以下になります。
それでは、何シーンか振り返りをしていきたいと思います。
「弾ム心」と”極楽”なお風呂
チトとユーリが、配管から湧き出たお湯をためて作ったお風呂に浸かるシーンでは「弾ム心」が流れました。
前回もイイ所で使われた音楽です。
チトとユーリのとろ〜んととろける顔から、お風呂の気持ち良さが伝わりますね。
以前別の記事でも書いたんですが、誰も使わなくなった配管の熱水と廃材の組み合わせで即席風呂を作るというアイデアが、終末世界ならではでワクワクします。終末×日常の魅力が詰まっていました。
第1話のような「前進」と「停滞」という枠組みで考えれば、「停滞」に相当するシーンでしょう。
気持ち良くお風呂に入る二人からは、前回の第1話に続き、「停滞」することの積極的な価値が感じられます。
寒い雪の中をケッテンクラートで進む冒頭のシーン(BGM:風ト廃墟ノ散歩道)がありましたが、このお風呂のシーンと対になっていそうです。
「寒い」と「暖かい」という分かりやすい対比に絡めて、”極楽=死後の世界”というキーワードが語られています。
「私たちは実は真っ白な死後の世界にいるのでは」という問いかけが最初に成されたのは、物語冒頭の寒さに凍える「風ト廃墟ノ散歩道」のシーンです。
しかしそこでは、「死後の世界って暖かいんだって」というセリフにより、”寒い雪の中=死後の世界”という説は否定されていました。
後に二人が暖かい風呂に入ると、思わず「極楽極楽」と口にします。ここで、”暖かいお風呂=極楽(=死後の世界)”という結びつきが誕生しています。
お風呂を満喫するという充実した「停滞」側のシーンが、極楽=死後の世界と結びつけて語られている事は、なんとなくですが重要な意味を持つ気がします。
というのも、「極楽」というキーワードは後に第4話で寺院の石像が明るく照らす世界として説明されるからです。実際第4話でもお風呂に対する言及があります。
そして最終話で明かされた”石像”の正体を考えれば、石像が照らし見守る「極楽」とは、まさにチトとユーリの旅するこの終末世界そのものを暗に示しているように感じます。
こう考えると“風呂(=停滞)-極楽-終末世界”というキーワードの繋がりが見えてきて、「二人でお風呂を満喫する」シーンに、「終末世界だって二人なら生きていける」という最終回のメッセージの片鱗が見られるように思えてきます。
なにはともあれ、やっぱり二人一緒なことが大切ですね。
本をくべるユーリと「チーズって何?」-感情誘導と、無音との対比
ユーリがチトの本を焚き火にくべてしまい、チトがふて寝するシーンでは「チーズって何?」が使われました。
本来ならブチ切れモノだと思うのですが……(笑)まあ実際怒ってますけども。
翌朝のやりとりには二人のいじらしさがにじみ出る回となりました。
ともすれば険悪なムードになってしまいがちなこのシーンをコミカル/マイルドに仕上げているのは、ゆるふわ調な絵のタッチの影響もありますし、やはりBGMによる救いもあるでしょう。
前回第1話でもBGM「チーズって何?」が担っていたのと同様、”ここは肩の力を抜いてて良いんだよ”と、見る側を少しコミカルな気持ちに感情誘導する役割を担っていると考えられます。
実際、頭の中でBGMを消してこのシーンを見てみると、必ずしもコミカルに取れないように感じます。
ユーリの顔が本で潰されて変顔になっているあたりは音楽を消してみてもコミカルさを感じられますが、続くシーンでのユーリの顔を見ていると、非常に悲しそうで、悪いことをしてしまったという自責の念・後ろめたさがかなり濃くある気がします。
だからこそ「このチーズって何?」が、ある意味視聴者にとっての救いというか、シーンの空気が深刻になりすぎないように誘導してくれていた縁の下の力持ち的な存在であることが感じられます。
こういうのが、無意識レベルで音楽が仕事をしている一つの例なのかなと思いました。
加えて、「チーズって何?」が持つもう一つの重要な音響演出上の意味は、その後のシーンとの性格の対比を生み出す事にもありそうです。
本を焼かれて怒るチトと謝るユーリのドタバタと、その後に訪れるユーリの孤独という前後のシーンの性格付けを、コミカルな曲(「チーズって何?」)と無音との対比によって演出していると捉えられます。
無音と言っても、正確には吹き抜ける風や建物の軋みや焚き火の音が響き渡っているわけですが、一番大きいのは二人の声が有るか無いかの差でしょう。
実際、BGM「チーズって何?」の鳴り終わりのタイミングに着目すると、BGMの終止直前にユーリの「ちーちゃん、」という呼びかけがなされますが、これに対してチトの反応は無くBGMは終止して、そのままセリフの無い無音地帯に突入します。
まとめれば、
音楽 : 「チーズって何?」 -> 無音(環境音のみ)
性格 : ドタバタ -> 孤独
声 : セリフあり -> セリフなし
という同期した切り替わりがあり、声の有無やシーンの性格の対比を音楽によってさらに補強するような使い方になっているのではないかと思います。
「優シイ日々」と「べつに」のニュアンス
吹雪の去った翌朝、チトとユーリが出発する場面では「優シイ日々」が使われました。
一晩あけてちょっと気まずいユーリとチトの距離がほほえましい展開です。
“ごぬんね”を見てもらうときのユーリは少し気恥ずかしそう。この二人の絶妙な距離感が全編にわたっていい味出してるアニメとも言えますね。
チトの「べつに。」のニュアンスの変化がすごく良いですよね。1回目より2回目の方が少し明るい感じで、少し心穏やかな感じが伝わってきます。こういう微妙な違いを作り出せる声優さんってやはりすごいですよね。
「優シイ日々」は、屋内でのシーンから晴れ渡った屋外のシーンへの切り替わりと共に流れ始めます。チトの少し和らいだ心の内を示すかのように、優しく穏やかな曲調ですね。
天候によって登場人物の心の内を表すっていう方法は良く使われていますけど、やっぱり見ていて気持ち良いです。
音楽 : 無し -> 「優シイ日々」
「べつに」のニュアンス : 少し曇った -> 少し穏やか
天気 : 屋内 ->晴れた空
という、音楽や天候を使って気持ちの変化を表す王道な魅せ方ながらも、やはり気持ちの良いシーンです。
ゆったりと停滞する二人と「君と過ごす日々」
「君と過ごす日々」は、チトとユーリが仰向けに寝そべりながら上層の話をするシーンで流れました。
二人でゆったり寝そべりながら上層を眺め、ただ何をするでもなく時間が過ぎていく。
第1話の「星空」や「戦争」のラストシーンに通じるところのある空気感でした。
なによりも、チトとユーリがこのゆったりとした時間の流れを満喫しているのが幸せそうで。
魚というキーアイテムによって、一気に上層へと世界観が広がっていくのが、今後のワクワク感をそそって良かったです。
このシーンの前にもチト達の足元にあるという海の話が出ていますし、この話を通して縦方向に世界がグワッと広がった感じですね。
ということで、今回の振り返りはここまでです。
本当は第3話もセットで書こうとしてたんですが、第2話だけで思いの外文章量がかさんだので、ここで一区切りとしておきたいと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回へ続く。 -> 第3,4話分へ
- アーティスト: 末廣健一郎
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2017/12/20
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (2件) を見る