自分のアニメ劇伴との出会いを振り返る雑記
普段よくアニメの劇伴の話ばかり考えていますが、昔と比べて結構好きな劇伴の傾向も変わってきたなと思い、いくつかの印象的なアニメ劇伴との出会いを昔から振り返ってみようと思いました。
…「好きなサントラの話書きたい」というだけの記事になってる気もしますが。
アニメと出会った頃-「エヴァ」「コードギアス」
自分がアニメ作品を見始めてから、10年も経っていないと思います。
アニメを見始めた頃に誰もが通る作品、というのがあるような気がしますが、私も御多分に漏れずそれらに出会いました。
音楽が印象に残ったものを思い出してみると、
やはりこのあたりでしたね。
エヴァの方に関しては、「とりあえず有名だし見てみるか」ぐらいの感じで視聴し始めた訳ですが、肝心の内容について当時の自分がちゃんと理解できていたのかどうかはあまり定かではありません(笑)。まあ今見ても隅々まで理解できるかどうか怪しいですが…。エヴァは有名ですが、アニメ初心者にとっては最初から高いハードルに挑みすぎたような気もしますね。
それでもやはり、今までに見たことのない世界観に圧倒され、アニメの世界へと引き込まれたのは確かです。
そして鷺巣詩郎さんによる音楽ですが、やっぱり、カッコイイですよね。やっぱり戦闘音楽はいつの時代も士気が上がるしカッコイイものです。例えば、物語冒頭に使われる「ANGEL ATTACK」。
この曲全編に渡って繰り返される低音のパターンが侵略感あっていいですよね。 他にもヤシマ作戦の曲とか新劇場版の方もかっこいいのたくさんありますけど、とにかくこんなに派手にパパパーンとファンファーレが鳴るような、ダイナミックで自由な曲が許されるんだ、と当時思いましたし、それが映像にフィットするのもアニメの自由な世界観あってこそなのかな、とますますアニメに魅力を感じていました。
それからコードギアスについては、ご存知のように超強力なエンターテインメント性を持つ作品で、去年秋からも劇場版の上映が始まるなど今でも根強い人気がありますよね。こちらもやはり有名だからと見始めた訳ですが、とにかく話の展開が面白い。全52話ほどあるわけですが、どんどん次が見たい次が見たい、となってしまう上手い"引き"を毎回見せてくる作品でした。
こちらの音楽は中川幸太郎さん。谷口悟朗監督作品では度々担当されています。同じことを繰り返すようですが、やはりカッコイイ音楽に当時惹かれていたのだと思います。
一番カッコイイ曲を挙げてくれ、と言われたら「in justice」になるかな〜と思います。
大抵はランスロットが出撃準備をしてる場面ですが、戦闘音楽よりも戦闘準備の段階の曲の方が格好いい事ってありますよね。金管メロディーの裏での弦楽器の動きが地味に良い。cm明けのアイキャッチでパパーン!と入ってくる使い方が好きでした。
こんな感じで私のアニメ黎明期の頃の劇伴音楽嗜好は、例えば上記のような作品の影響を受け、かっこいい/派手で華やか/スケールの大きい、そういった好みだったかなと振り返ります。また、上記のような作品のインパクトもあってか、SF系のアニメを好んで見ていたように記憶してます。
2つのターニングポイント-1「空の境界」
アニメの面白さに気づいた後は、徐々に様々な作品へ手を伸ばしていくわけです。
正直、自分がどういう順番でアニメ作品を見ていったかなど細かくは記憶できていないですね。なんか記録でもとっておけばよかったかなあ。*1
しかしその中でも、特に印象に残った作品はいくつかあり、自分の中でなんらかのターニングポイントになっているかもしれないです。
アニメ劇伴という観点で自分にとってのターニングポイントを一つ挙げるならば、これは間違いなく劇場版作品「空の境界」になります。
奈須きのこさんによる原作小説が、ufotableさんの手によって全7章(+終章も)の劇場版として連続公開されるというものでした。私はリアルタイムで足を運べていないので、DVDなどでこれを見ました。
音楽担当は梶浦由記さん。この「空の境界」の音楽にとても衝撃を受けたのを覚えています。どこまでも映像とマッチして作られた音楽。何よりも、あの幻想的で美麗な映像に負けない、むしろ音楽の側からそこにある空間の空気を演出しているんじゃないかと思えるほどの曲の色の濃さ。アニメにおける劇伴の魅力を体感するには十分すぎるほどの作品です。
the Garden of sinners-劇場版「空の境界」音楽集-
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何より、メインテーマがものすごく偉大だなと思うのです。1章から終章まで通して必ず現れる"空の境界のテーマ"と言えるあのメロディー。純粋にメロディーラインがとても綺麗…と同時に、全部で8作のシリーズ全てに登場し、その度如何様なアレンジにも耐えうる柔軟性の高さ。こんなに物語にマッチする曲があるか!?と思います。 また劇中の音楽も、常に分かりやすくメロディーがある様な曲ではなく、ほとんど効果音に近いようなものも多用されていて、音で空気感を作る手段の多彩さにも驚きました。 また、曲調の切り替わりなどと映像の進行が極限までマッチするよう調整されている所にやはりとても驚きました。4章で橙子さんが指パッチンするあたりのタイミングの取り方とか好きです。
「空の境界」における梶浦由記さんの音楽は、純粋な曲の美しさ/妖しさの魅力もさることながら、それが劇中の要素とどう絡み合うのか?という面白さに気づかせてくれたものでした。
また、ある程度"濃い"曲であってもそれを包容できるアニメの世界観の懐の深さというものに、改めて気づいた作品でもあります。
ちょうど「空の境界」に触れた時期が「魔法少女まどか☆マギカ」や「Fate/Zero」が放映されていた頃で、それらも視聴して梶浦由記さんの楽曲を好むようになっていったというのは後日談。
2つのターニングポイント-2「涼宮ハルヒの消失」
「空の境界」と同じレベルで劇伴音楽が印象に残ったのが、劇場版作品「涼宮ハルヒの消失」でした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」自体はアニメを見始めた最初の頃に視聴し終わっていました。TVシリーズにはわりかしポップな作品の印象を受けていたのですが、劇場版である「消失」はかなりシリアス寄りになっていて、音楽の方も物語序盤ですぐにフルオケ編成に切り替わって、TV版とは異なる空気を作り出してます。
冬の日のどこか寂しげな空気が常に画面を漂い、その中でもキョンが静かにアツく変化していく、名作中の名作だと思います。多分この作品の感想を書くなら別に一本記事を用意すべきなのでしょう。
サウンドトラックは、神前暁さんを中心としてMONACA所属の作曲家の方々が担当されています。
一つ一つの曲がとても充実していて、最後まで聞きごたえたっぷりです。時に快活に時に叙情的に自在に本編の内容を彩る名盤。今でもよく電車の中で聴いたりします。
中でも本編ラストで使われる「いつもの風景で終わる物語」のアレンジがものすごく楽しい。このアニメのテーマ曲と言っても過言ではない「いつもの風景」のオケアレンジですが、オーケストラの広い音色の幅が生かされ、例のメロディーがフルートから弦楽器、低音金管まで駆け巡り、裏ではハーモニーや対旋律が豊かな彩りを加えています。
また先ほどの「空の境界」と同様に、純粋な曲の素晴らしさだけでなく、本編の中での使われ方もとても印象深いです。今触れた「いつもの風景」のアレンジも、物語冒頭と最後部をサンドイッチするように使われていますが、冒頭のポップなアレンジから最後の豊かなオーケストラ の響きへの変遷が、まるで物語を通したキョンの内面の変化を体現するかのように感じます。他にも、各シーンでの音楽の有無の取捨選択、キャラクターごとの曲による特徴づけなど、劇に寄り添って丁寧に考え設計されています。このサントラに本編未使用曲が多い所からも、そういったディレクションに関して色々と想像が膨らみ、楽しいです。
ともかく、この「涼宮ハルヒの消失」も、先ほどの「空の境界」と同じく、"アニメでの劇と曲の関係性"の面白さを自分に提示してくれた重要な作品なのだなと改めて思い出します。
違う方向性-「響け!ユーフォニアム」
上記二作品の影響もあり、アニメ劇伴という物に興味を持ち始めたのはわりかし最近でした。 色々な作品を見て、気になったものはサントラもチェックしてみたりという日々が続きましたが、やはりそれでも自分の嗜好は大規模、華やかな曲に寄っていたかなと思います。
ただここ数年でそこに一石を投じるような作品に出会いました。それが「響け!ユーフォニアム」です。
吹奏楽部を舞台にした青春モノですが、高校生の人間関係を細やかに描き、一方で吹奏楽部のドキュメンタリーのようなテイストもあり、宇治という土地に漂う情緒そのものも楽しめたり…様々な匂いのする作品だと感じます。 京アニ×音楽モノ+主人公4人組ということで、放映前は「ていおん!」などと冗談を言われたりもしていましたが、始まってみればストイックな部活のありのままがそこにはありました。
この作品の音楽は松田彬人さんが担当されました。劇中の吹奏楽曲の作曲まで松田さんがされているんですよね。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』オリジナルサウンドトラック おもいでミュージック
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吹奏楽をテーマにした作品ということもあり、作中の演奏との棲み分けを図るために管楽器を用いずに作曲がされているのがこのサウンドトラックです。そのため、基調は弦楽器とピアノによるアンサンブルとなっていますが、その中でも作品の空気に沿った様々な曲の顔が見られます。特に「運命の流れ」はとても好きな曲で、TVシリーズ第1期の空気感を作っています。
ピアノと弦の音が、作品全体を通して真っ白なキャンバスとして有り、そしてその上に主人公たちの吹奏楽の音が乗る、そのように感じます。良い意味で、作品の背景となる曲が多いと思います。
自分にとっては、このサントラ/ユーフォというアニメを知って、小さめのアンサンブルによる劇伴もいいな、と思うようになったのが大きかったです。
今までは、オーケストラ編成で大規模だったり、曲の存在が背景というより前景まで浮き出てくるようなものを好んでいたのですが、ユーフォのようにそれとは反対の方向性も良いなと感じるようになったのです。
ただユーフォの劇伴も、ただ背景に隠れているだけで印象に薄いかというとそうではなく、確実に印象には残るわけです。このあたりは、音響監督による選曲と配置の技術も大きいのかな、などと思ってます。
そこで、曲を印象的にするための選曲の工夫という観点にも少し興味が出始めてきました。このブログでも、その一端でも探れたら良いなと思いそのような文章を書いたりもしました。(参考記事)
アニメのジャンルの好みの変遷も多いに関係あると思います。やはり青春モノのような、登場人物の細やかな感情の揺れこそが肝となるようなアニメでは、劇伴音楽もそれに寄り添うような楽器やアンサンブルの規模で作られる気がします。
さて、ひと通り印象深いいくつかの劇伴を振り返って見ました。特に結論的なものがあるわけではないんですが、大雑把にまとめれば、昔は大規模/華やかなのを好んでたけど最近は繊細なアンサンブルも良いよな〜と思うようになりました、というまとめになろうかと思います(雑)。
それだけでなく、劇と曲の関係性という点について興味が現れてきたりしたのは、やはり「空の境界」や「涼宮ハルヒの消失」あたりの影響が大きいかも。
自分は知ってるアニメ作品の幅もまだまだ狭いですし、これからも色々な作品と出会って行きたいです。
良い作品との出会いがあれば、自然と良い音楽とも出会えるでしょう。
*1:このブログはそういった"記録"の意味も込めて始めてみたものでもあります
響け!ユーフォニアム 届けたいメロディーのBDが届いたので再び感想を書く
先日響け!ユーフォニアムのBDが家に届きました。待望ですね。
劇場版 響け! ユーフォニアム ~届けたいメロディ~ [Blu-ray]
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特典も、新規カットの絵コンテ集がまるごと入っていたりと、結構読み応えがあります。
さて、この映画の感想自体は公開直後に昔書いたのですが、↓
BDを買って家でゆっくり見ていたら再び書きたくなったので、書いておきたくなった事を徒然なるままに記していきたいと思います。
駅ビルコンサートまでの濃密さ
駅ビルコンサートの「宝島」演奏シーンが前半の物語の大きな山になっていますよね。*1
宝島の演奏シーンもカットが増えて、曲の最後まで聴けるようになったのはやはり嬉しいです。
先ほど言った付録のコンテ集とか見ても、拍数と合わせてカット割がされていたり、緻密な作業なんだな…と感じます。
そしてこの宝島に至るまでの30分ほどの話の濃密さ。改めてすごく良く作られているなと感じます。
この限られた30分で、あすかの「頼れるすごい先輩像」をしっかりと作り上げているんですよね。
学園祭で「こういう時はしっかり息抜きをするように!」という"さすがあすか先輩!"というセリフがあったり、
テューバパートのカンニングブレス問題をキビキビと解決してパートを仕切り、
合宿でも10回通しを物ともしない超人さを見せ。
新規カットを用いたり、場合によってはTV版とは時系列を変えてまで*2、あすかの「頼れる先輩像」を積み上げていくためのシーンは逃さず散りばめてゆく。
あすかがどれだけ頼りにされているか、という"特別なあすか像"が濃密に詰め込まれてます。
加えて、どこか冷たいあすかの表情や合宿の朝もやの中での演奏など、後半部に続く伏線も抜け目なく張られていますね。
これがあるからこそ、「あすかは特別じゃないんだ、私たちが支えるんだ」という晴香のスピーチで気持ちが盛り上がるし、心動かされるのでしょう。
小川監督の言葉で言えば、"積み"が足りてるという事なんでしょうね。
やはりTV版を再構成して作る劇場版は、TVでは何話かけてじっくりやれた所を30分程度のうちにやらなければいけないわけです。
そう考えた時、「あすかとはどんな存在か」という所を印象づけるのに尺が足りなくなりそうなものですが、それを感じさせない前半30分の濃密さがあります。
これが、"一本の映画としてわかるように仕上げた"事の一つの側面かもしれないです。
久美子だけがあすかに一歩踏み込める
宝島で一旦のクライマックスを見せ、「あすかだって特別じゃないんだ」「私たちが支えるんだ」という事を共有する部員たち。
既に映画一本分みたような起承転結を見せた盛り上がりなんですが、話はここで終わりません。
あすかの退部の問題そのものは、解決しないまま時間が流れてゆきます。
そしてここから久美子だけが紡げる物語が始まります。
なぜ久美子だけなのか?それはやはり
麻美子の存在
"ユーフォっぽい"
この2つだなと、TVシリーズから変わらず感じています。
麻美子の姿に有り得る未来のあすかを重ね見た久美子だけが、「先輩だってただの高校生なのに」と言えるのだと思いますし、
"ユーフォっぽい"久美子にだからこそ、あすかは久美子に話を聞いてもらおうと思ったし、あの河原で純真な笑顔を見せてくれた。
あの体育館裏での説得へ繋がってゆく鍵は、久美子だけが手に入れられた物だと感じます。
全国大会、そして物語の終着
そして久美子が紡いだ物語はあすかを全国大会へと連れて行きました。
劇場版における全国大会の演奏シーンは、間違いなくこの映画の最大の山場でしょうね。TV版ではカットされてしまった演奏シーンですが、この劇場版ではカットされるわけがない!
この全国の演奏は、あすかにとっても久美子にとっても、大切な人へ音を届ける大切な場でした。まさに「届けたいメロディー」。
中でも改めて良いと思ったのは、本番前の舞台袖のシーン。
久美子の「お姉ちゃんも来てるんです」というセリフに対するあすかの反応が、冷静ながらもとてもアツいです。
麻美子の事は当然知らないあすかですが、その"お姉ちゃん"が久美子にとってどんな存在なのかを肌で感じ取るわけですよね。久美子にも自分と同じく"届けたい人"がいるのだと、訊かずとも分かる。そして、頑張らなきゃね、と返し、意を決して舞台へ向かう…。
舞台袖ということもあり静かなシーンなんですけど、本当にかっこいい。言わずとも分かる、"阿吽の呼吸"に近いものを感じます。
演奏シーンは言葉にするのが難しいですが、ただ圧巻です。劇場版の"あすかの物語"としての側面も新規カットによって強調されていて、物語のクライマックス。
息を飲んで、7分間画面を見つめます。
そして演奏を終えると、久美子とあすかの物語がそれぞれ綺麗に終着を迎えます。
「ユーフォ、好き?」
久美子の物語は最初曖昧な答えから始まりましたが、今回ははっきりと答えを持っています。
その答えが芽生えたのは、きっとあすかのユーフォニアムの音があったから。
ずっと昔、父親から楽器とメロディーを受け取った時から物語は始まり、そしてついに自分の音を父に届けることができたあすか。
褒められて久美子に飛びつくあすかの姿は、小さい頃の純真な姿にそっくりです。
劇伴音楽も、物語冒頭に使われていた「響け!ユーフォニアム」のモチーフに回帰して、本当によかったなあと、一息つきます。
ほっと胸をなでおろせる、それぞれの優しい着地点。
また、「一本の映画として分かるように」という監督の言葉を再び思い出します。
別れのシーン、「始まりと終わり」の魅力
あすかから久美子へと、受け継がれる精神。
冬景色の中での別れのシーンは、TV版から変わらず優しい気持ちになれます。
その中でも、このシーンで流れる「始まりと終わり」という劇伴の魅力です。
前提として、この映画の劇伴では
弦楽器=あすかの気持ちに寄り添って
ピアノ=久美子の気持ちに寄り添って
という対応がついているようですね。*3
例えば冒頭のあすか幼少期のシーンでは、弦楽器が響け!ユーフォニアムのメロディーを提示します。一方で、体育館裏でのあすか説得シーンでは、久美子の説得に合わせてピアノソロが奏でられています。
二人の想いが重なる瞬間には弦とピアノが掛け合います。あすかの家から二人で水管橋へ向かうシーンなどが良い例でした。
さて、劇中このような積み重ねがあった上での、このあすかとの別れのシーンです。
上のような対応を考えると、やはり弦楽器とピアノの掛け合いで曲は進んでいきます。
あすかから久美子へと、想いが、音が、受け継がれる場面です。その象徴として、あすかのノートの受け渡しがありました。
ノートに二人の手が重なり、想いが渡るその瞬間、「響け!ユーフォニアム」のメロディーが弦とピアノ両者によってユニゾンで奏されます。
弦楽器による"あすかの音"として奏じられるメロディーが今、"久美子の音"=ピアノと重なり、「響け!ユーフォニアム」の音色は受け継がれていく。
劇中での弦とピアノの棲み分けが、「始まりと終わり」のこの瞬間に向けて着々と積み重ねられ、そしてついに集大成として身を結んだ。そんな感じがします。
とても贅沢で、あまりに感動的な演出です。
しかしそのメロディーの重なりは儚く過ぎ去り、別れの時は訪れます。
「またね!」という一旦の別れを交わした後に一人残る久美子。やはりというべきか、弦楽器はフェードアウトしてゆきました。
そしてノートを開きその曲の題名を知るとともに、満を辞してピアノソロが暖かくも感動的に「響け!ユーフォニアム」のメロディーを再現し、物語は次へと進んでゆくのです。
しかしこれは単なる再現にはなっておらず、「始まりと終わり」では「響け!ユーフォニアム」のメロディーのリズムがこれまでと変化しているんですよね。*4
あすかのメロディーを受け継ぎつつも、そこに久美子の色が加わった新しい音が生まれているのだと、私はそのように受け取りました。
あすかの音を受け継ぎ、どんな新しい久美子に変わっていくのか。その片鱗は、小説の第二楽章を読んだことのある人なら、感じるところがあるのではないでしょうか。
そして、あすかから久美子へこの音が受け継がれるに至るための、大事なターニングポイント。やはり大切なのは、ラストシーンの河原での演奏ではないでしょうか。
ユーフォニアムという、二人を結ぶ共通項。ユーフォの奏でる「響け!ユーフォニアム」の音色こそが二人を繋ぎ、あすかの音(弦楽器)が久美子の音(ピアノ)へと受け継がれていったのだと、そう私は感じます。
こう改めて音楽的な流れでラストを見てみると、ラストカットに河原での演奏を持って来たことがすごくナチュラルに、説得力を持って響いてきます。
セリフはなくても、音楽だけで良い。
弦楽器から、ユーフォニアムで繋がれ、ピアノへ届く。*5
二人を繋ぐのはユーフォニアムの音なんだよ、と。
なんとも美しい話です。
よい作品は何度見ても良い
ということで、再び感想を書いてしまいました。
最後に言いたいこととしては、見出しの通りです。
第1期の吹奏楽部色の色濃い感じもかなり好きなのですが、第2期のように、より青春ドラマにフォーカスしつつも、大事な所では音楽のパワーがものを言うというテイストもとても魅力がありますよね。
*1:当然後半の話の山は三日月の舞だし、ラストシーンもユーフォの演奏で閉めるという、最後まで要所を音楽で紡いでいくのが、とても好きです。
*2:パート練のシーンや合宿はTV版では4話以前に相当してました。
*3:舞台挨拶で監督が言われていたようです。
*4:「響け!ユーフォニアム」のメロディーは、これまでは12/8(又は4/4?)拍子で現れていましたが、「始まりと終わり」では3/4拍子であるのが大きな違いです。
*5:弦楽器によって「響け!ユーフォニアム」の主題が演奏される曲は、「幼き原点」「覚醒する仲間たち」「取り戻した原点」などがありました。特に、映画冒頭に弦楽器による主題(幼き原点)を持って来て、映画最後部に弦とピアノのユニゾン→ピアノソロ→ユーフォソロと主題を異なる楽器で受け渡していく流れは、本当に綺麗としか言いようがありません。
少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第5,6話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話について、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして、ストーリーや音楽を振り返ろうと思います。
前回分(第3,4話)はこちらから。
[注]最終回までのネタバレを含む形で書いているので、まだ全話見ていないという方はご注意ください。
ストーリー・劇伴音楽対応表
第5,6話分の音楽使用シーンをまとめたものです。
※鳴り始め・鳴り終わりは、各話開始時点から測った時間です。
曲番号は、 TVアニメ『少女終末旅行』オリジナルサウンドトラックに準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。
例えば"1_5"なら、ディスク1の5曲目を指します。
第5話『「住居」「昼寝」「雨音」』
「優シイ日々」と夢気分
建物の一室で部屋の妄想をするシーンでは、「優シイ日々」が流れました。
何もない暗い部屋で腰掛け、「こんなものがあったらいいよねえ」という妄想を進める二人。
ハープの子守唄のような音に包まれて、夢の中の気分に浸るシーンです。
音楽だけでなく、子供の笑い声や鐘の音や画面いっぱいの光。これら全てをもって夢の中へ誘ってくれます。
幸せな現実逃避、とでも言えそうな時間。ひとときの贅沢を味わう二人を見て、こちらも自然と穏やかな気持ちになるシーンでした。
劇伴音楽の伴わない「雨音」
第5話最後の小話である「雨音」は、音楽をテーマにした回ということもあり、劇伴音楽が一切使われませんでした。
その代わり、雨音の奏でる音楽や挿入歌「雨だれの歌」をしみじみと楽しむことができる作りとなっています。
全体として第5話は、水たまりや水流など冒頭からずっと水の存在が描かれてきました。
ただ「住居」や「昼寝」では特に意識の向かないありふれたものとして周りに存在していた水たまりや水滴が、「雨音」の後にはそれまでとは違った響きを持って聞こえてくるのが、この話数の味わいの一つでしょう。
「雨音」の感想は以前ブログに書いたこともあり、ここではこの話題はこれくらいにしておきたいと思います。
それから、チト達が雨宿りしてた建物(がれき)。これって最終回のカメラの記録に映し出されていた自立歩行のロボットですよね…?
私は今回見直していてやっと気付いたのですが、ゾクッとする演出です。
最終回の映像だけではあのロボットがどんな存在か曖昧ですが、「戦争」「破壊」「終焉」、少なくともこういうイメージと結びつきます。
そんなロボットの残骸を映し出しながら、その下では楽しげな音楽が生まれチトとユーリが歌うエンディングスタッフロール。
実はかなり恐ろしくもメッセージ性の強いシーンだったのではないか、と感じます。
このロボットの残骸と「雨だれの歌」が、ここで結びついている事…、これは最終回のEDに「雨だれの歌」が使用されていることにも意味を与えそうです。
詳しくは最終回の時に考えることにしたいです。
なんにせよ、ここにも”停滞の中にも価値を見出していこうよ”という、これまでの話数にも色濃かったメッセージの片鱗が感じられました。
第6話『「故障」「技術」「離陸」』
イシイのフライト、「少女終末旅行-MainTheme-」が断たれる瞬間
イシイが飛行機に乗って旅立つシーンでは、「少女終末旅行-MainTheme-」が使われました。
前回第4話でも使われましたが、個人的にはこちらのシーンの方が印象に残っています。
「人類最後の飛行かも」「誰かが見ていてくれればそれは歴史になる」といった心に残るセリフが非常に多かった。
飛行機の技術発展の歴史を資料にしながら、イシイもオリジナルの飛行機を作り上げてきた訳ですから、歴史が目撃され記録されることの重要性を誰よりもイシイは理解していたのではないでしょうか。
この話数のラストカット、イシイの図面が設計室の壁に他の資料と共に貼り付けられているのを写すのは、イシイの仕事が歴史のひとつとなった事を示しているのでしょう。
もしチトとユーリが現れなかったら、イシイは人知れず最後の飛行を試みていたのでしょうか。
そしてイシイはフライトへ。飛行機が軌道に乗り、うまく飛び立ったかと思った瞬間にハネが折れ、同時にBGMも一瞬にして霧散する演出がとても印象的です。
MainThemeの中でも、最も朗々とメロディーが歌い上げられている部分が突然ブツッと途切れるため、その衝撃はとても強いです。
特に、BGMの途切れる直前の音は一連の主旋律の中での最高音(最も高い音)になっており、高く高くへ羽ばたいていける…というような希望*1を感じさせます。……が、その希望を持った瞬間を残酷にも断ち切るように音楽が途切れるのです。これはまるで生命が断たれることの音楽面からの暗喩のようにも感じられます。*2
途切れた最高音には深く残響がかかり、その瞬間のチト達の衝撃・時間が止まったような感覚を作り出しています。
音楽の力が縁の下から物語をアシストする、第6話のクライマックスを飾る素晴らしい(と同時にとてもショッキングな)シーンだと感じました。
「心ニ触レテ」と"絶望と仲良くなる"
その後イシイが穏やかな表情で落下していく所では、「心ニ触レテ」が使われています。
イシイが”絶望と仲良くなる”、まさにその瞬間だと思います。
ずっとずっと目標を持って前へ進み続けて来たイシイが、最後の最後で失敗をするという、第3話のカナザワと非常に重なる所のある展開。
しかし「心二触レテ」は、”気楽なもんだなあ”と言うイシイの心中を表したかのように、とても穏やかな曲でした。
この曲のシーンの最後には、ユーリの絶望ソングがオーバーラップしてきます。なんとなく、「絶望」というキーワードにポジティブなイメージを持たせてくれるような、そんな終わり方に聴こえます。
こういう所が少女終末旅行独特のメッセージ性だと感じますし、私の好きな部分でもあります。
ということで、今回は少しあっさりめでしたが第5,6話を振り返りました。
今回はやはりMainThemeの使い方が一番印象に残りました。
それではお付き合いいただきありがとうございました。次回へ続く。
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【感想】宝石の国展 見学レポート@東京・有楽町
前々から行こうと思っていた宝石の国展を覗きに行ってきましたので、その見学レポートとなります! 場所は東京・有楽町マルイ8階イベントスペース。
入り口を通ると、まずはフォスやシンシャをはじめとしたメインキャラ達の資料展示がありました。
この時点でこの展示のボリュームの多さを悟ります。
表情資料集では、髪の一枚一枚の作りから眉毛のラインの微妙なカーブのニュアンスや靴の美術設定まで、細かな所まで心ゆくまで眺めることができました。なんたって、時間制限無いですからね!
資料に添えられたメモなどを見れば、どこに着目して見るとなお面白いかが分かり、さらに面白さ倍増でした。
またたくさんのコンセプトアートが展示されています。本当にたくさんです。宝石の国の世界を満喫できました。
あの世界の様々な場所をバックに宝石たちがたたずむ素敵なコンセプトアートばかりです。
画面の色の作り方に関して、コンセプトアートの西川洋一さんのコメントの展示が非常に興味深かったです。
すでに見に行った方ならかなり印象に残っている展示ではないでしょうか。
補色や差し色といった概念を考え、うまく画面の色彩が設計されていたのですね。キャラの影なども単純に黒く塗るだけでなく、きちんと色が設計されている。綺麗な絵だなと感じる裏には、しっかりした裏付けに基づいた組み立てがあるのだと、プロの仕事に感動します。
このコメントを見た後再度コンセプトアートを眺めてみたのですが、なんとなく新たな楽しみ方が増えたような気がします。
月人の設定資料集も見ることができました。
この設定資料がすごく面白い。月人たちの配置についても展示がありましたが、笛吹きがどこにいて旗持ちがどこにいて……とか実は放映時あまり着目して見たことはなかったので、非常に興味深かったです。
月人との戦闘装備についても合わせて展示があり、宝石たちの持つ刀のサイズ・形状などについても細かく設定が。一人一人に合わせて異なった刀が割り振られているのは、この美術設定を見て初めて知ることができたポイントでした。
装飾品関連なども合わせ、ここで詳細には書ききれないほどかなりの情報量があるブースで、他のお客さんと場所を譲り合いながら見てました。
その隣には、原画にセリフと音楽を合わせたものを映像で見ることができるブースがあり、かなりの人がここで止まって見ていました。場面はアンタークと月人の戦闘の部分。この周辺の展示はアンタークのシーンの美術で固められており、実質アンターク特集ブースになっていました。
順路終盤には第1話などのコンテの展示があり、じっくり目を凝らして一コマ一コマ眺められました。サブタイトルの仮題なんかも書いてあって面白かったです。製作過程の一部が生のまま見られるっていうのは貴重ですよね。
そして最後には宝石の展示。個人的にはジルコンが綺麗で好きだったな。シンシャはなんだか彼のキャラクターを投影して見てしまうような色合い。
ちなみにアンタークチサイトだけは先ほどのアンターク特集ブースでビンに入って展示。
これで終わり!かと思いきや、最後の最後にBDのケースデザインの面白い秘話が展示されておりました。ボツになった案でも面白そうなものばかり。改めて「宝石の国」がBDケースデザインまで含めて挑戦づくしの意欲作だったことが分かりました。詳しくは展示場にぜひ行って見てみてください!
全体としてブースは小さめですが、ところ狭しと並べられた展示資料の密度はかなり高く、満足度は十分でした。
当然ですが中は一部ブースを除いて撮影禁止でしたので、まだ行ったことがない方はぜひ足を運んでじっくり目に焼き付けて見てはいかがでしょうか。私はゆっくり回って2時間ほどで出てきましたので、ばっちり時間を確保して行くことをおすすめします。
「宝石の国」を見た全ての人に行って見てほしい、「宝石の国展」。
あまり字面でべらべら説明するのもなと思い、このレポートではほんの一部に触れただけに過ぎませんので、ぜひ皆さんも実際見て感じてみては。
少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第3,4話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話について、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして、ストーリーや音楽を振り返ろうと思います。
前回分(第2話)はこちらから。
次回分(第5,6話)はこちらから。
[注]最終回までのネタバレを含む形で書いているので、まだ全話見ていないという方はご注意ください。
ストーリー・劇伴音楽対応表
第3,4話分の音楽使用シーンをまとめたものです。
※鳴り始め・鳴り終わりは、各話開始時点から測った時間です。
曲番号は、 TVアニメ『少女終末旅行』オリジナルサウンドトラックに準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。
例えば"1_5"なら、ディスク1の5曲目を指します。
第3話に関しては、本編を見ただけだと小話ごとの区切りが分からなかったため、画像では”?”と記しました。
第3話『「遭遇」「都市」「街灯」』
カナザワという、第三者が初めて登場してくる話数でしたね。
今後に繋がるキーアイテムであるカメラがカナザワから手渡された回でもありました。
以下では2シーンほど選んで、音楽や本編を振り返ります。
「予兆ト警戒」による緊張感の演出
チトがタバコの吸殻を見つけてから、カナザワが登場するまでの緊迫感を演出したのは、「予兆ト警戒」です。
「誰かいる!」というセリフとともに、警告のサイレンのような弦楽器からこの曲が始まります。
他の劇伴曲では多く聴かれた、包み込むようなハープやピアノの音は無く、心臓の鼓動のようなドラムのリズムが不安を誘います。
これは明らかに、緊張感を煽るための曲として使われているように感じます。
ここでは、緊張感/不安感の発生から消失までの流れとBGMの対応を、すこし細かく考えてみました。
先程触れたように、このBGMの始まりは、タバコの吸殻を見たチトがそれを”未知の誰か”の存在と結びつけた瞬間、すなわち「誰かいる!」というセリフと対応していました。
これまで世界に二人しかいないと思ってきた所に初めて登場した第三者ですから、決して大げさな反応ではないでしょうね。
その後一旦ビルの崩壊音直前で曲が途切れますが、タイトルコールを挟んで再び同じ曲の後半部分から再生が始まり、緊張感は途切れません。
今度は、カナザワのセリフ(声)と関連づけてBGMの終わり方を見てみたいと思います。タイトルコール後に姿を現したカナザワの発する声は、
①うめき声のような何か
→②咳き込む声
→③ふつうに発声
という風に変わっていきます。BGMが途切れているのはちょうど②の直前。
①の声からは、”言葉が通じない未知のモノ”みたいな印象を受け、わりと不気味な存在に見えます。どこか人間らしさが感じられないというか、ゾンビみたいなイメージでしょうか。
対して②の咳き込む声は、①よりは人間っぽさが増し、実際それを聴いてチトとユーリの表情も少し和らいでいます。緊張感が少しほぐれているのが想像できそうです。
そして「大丈夫?」とカナザワに話しかけてみると、③のように通常の発声で返答が来るという流れです。
こうして見ると、チトとユーリの”未知のモノ”への緊張感/警戒心がカナザワが発する声の変遷と共に和らいでいるようで、その緊張感のオンオフに対応してBGMもオンオフしているように見えます。
要は、”緊張感が生じた瞬間から消える瞬間まで”を補強するようにBGMが使われ、
そして、どのタイミングで緊張感が生じそして消失したかは、発されるセリフ(声)と関連づけて考えられそうです。
結論としてはかなり普通の事っぽいですが、曲の鳴り始めと終わりが丁寧に設計されているシーンだと感じられます。
余談ですが、のちに第6話でイシイという第三者に出会う時は、このような緊張感を煽る曲でなく、どちらかといえばコミカル寄りな曲「行動ト前進」が使われています。
対して今回がここまで緊張感の高いシーンになっているのは、初めて出会った第三者であるという点がやはり大きいのかな、などと思います。
生きがいを失うカナザワと「喪失」
カナザワが昇降機から地図を全て落としてしまいひどく落胆するシーンでは、「喪失」が使われました。
これまで着実に作成してきた、生きる目的とも言える地図を失うという、見てる側も結構精神ダメージを負いそうなシーンでした。そりゃ落ち込むなあ……。
曲も、他にあまりないようなずーんと沈む感じの曲調。結構使用回数が低いBGMだと思います。
チトとユーリと出会う前からずっとコツコツ積み上げてきた生きがいを無くしたカナザワ。
しかし、その後街灯の明かりを眺めながらのユーリとのやりとりが好きです。
ユ「意味なんかなくてもたまにはいいことあるよ」
カ「こんな世界でも?」
ユ「たぶん。だってこんなに景色がきれいだし」
こういうスタンスはまさに少女終末旅行の作品観そのものに近い気がします。
明確な目的がなくても、星空を眺めたり、雪の上で戯れたり、お風呂でくつろいだりしながら、旅を続けてきたユーリだからこそ出てきたセリフという感じがします。
生きがいが無くなっても価値あるものは見つけられるじゃない、という励まし方がすごく好きですね。
こうして見ると、この第3話におけるカナザワって第6話のイシイと似ているところがあるな、とも思います。
チトとユーリと出会う前からずっと明確な目的に向かってコツコツと進捗を生み続けてきて、でもチト達と出会ったところで最後の最後で失敗をして、でもその後”絶望との付き合い方”を学んで……という。
そんな事を考えつつ今話もじっくりと余韻に浸れた引きでした。
第4話『「写真」「寺院」』
第4話における劇伴音楽の特徴として、使用された曲の種類が5曲と他の話数に比べてかなり少なめな事があります。
その代わり、一つ一つの曲が長回しで使われている場面が多いですね。
これまでの話数ではほとんど無かった3分以上の曲の長回しが5曲中3曲も現れます。
(第3話では一回ありましたが)
ここではそれらの曲にも着目しつつ、音楽を振り返ってみたいと思います。
「ケッテンクラート」の曲構造とシーンを照らし合わせてみる
「寺院」の話における「ケッテンクラート」のシーンはさほど長回しではありませんが、前進感/推進力を生み出す音楽と言えると思います。
個人的にこの曲の面白いところは、二段階に前進感を生み出せる所だと思います。
“二段階”とは何ぞやというのを、具体的にこの「寺院」の冒頭シーンを例にとって見てみたいと思います。
BGM「ケッテンクラート」の流れている場面には、二段階の前進が描かれています。
①ケッテンクラートに乗っての前進 : 〜寺院の入り口で停車するまで
②徒歩での前進 : 歩き始めてから、立ち止まりサブタイトルが出るまで
二人がどんどん建物の中へ進んでいくシーンを、この2つのフェーズに分けて見てみます。
一方、劇伴「ケッテンクラート」の曲の構造を見てみるとこの場面との対応が見えてきます。
言葉で伝わりづらいので以下のように図で整理しました。
サウンドトラックに収録された曲「ケッテンクラート」を聴くと、大まかにA-B-A’-B’の4部分に分けられそうです。*1
この分類は、主にメロディーラインの有無を根拠にして考えています。
A(A’)は、弦楽器の刻みのリズムに乗ってメロディーラインが演奏される部分。メロディーというのは、上の試聴音源の冒頭に聴くことができると思います。
一方B(B’)は、弦楽器などによるハーモニー(音の伸ばし)が主体の部分となっており、Aにあった弦楽器の刻みのリズムやメロディーは無くなります。
AとA’(BとB’)は、細かい違いはあれど非常に似た構造である事を意味します。*2
さらに曲全体は、似た展開を持つ前半部分(AとB)と後半部分(A’とB’)に分けられ、図ではこれが赤い点線で示されています。
ですから、A-Bという似た構造を2回繰り返している曲であると大まかに理解できます。
同じ展開を前半と後半で2回繰り返すこの曲構造が、先ほど見た二人が建物の中へ進んでいく2つのフェーズにうまく対応して使われているのが面白いので見てみます。
曲の前半部分は①ケッテンクラートによる前進、後半部分は②徒歩による前進に対応し、物語にある”二段階の前進”がうまく曲の展開に対応付いています。
さらにみると、前半後半それぞれについて、進んでいる最中のシーンにはAが対応し、一旦立ち止まるシーンにはBが対応しています。
個人的に一番好きなのはBからA’への移り変わりです。一度ケッテンクラートを停車させた状態から、再び前へ歩みを進める駆動力を生み出すのが、曲のA’部分における弦楽器のリズムだったりメロディーラインだったりするように感じます。
長々と書きましたが、二人がどんどん進んでいく様子を曲の構造とうまく対応させながら後押している所に工夫を感じます。
初めからこのような効果を具体的に狙って作曲されたとは考えにくいですが、実際にこのシーンを作る際にこのような曲のはめ方を生み出すセンスはすごい……と感じます。
偶然の産物のように思えますが、後の第8話「螺旋」における「ケッテンクラート」の使用シーンでも、BからA'への移り変わりを利用して停車状態から再び進み始める推進力を作っています。
結構確信的にこの曲の構造を利用しているのではないかな、なんて想像しています。
二人の会話と「時ノ記憶」
「時ノ記憶」が用いられたのは、カメラで撮った写真を二人で振り返る夜のシーンでした。
一つ前のケッテンクラートで進むシーンとは打って変わって、ずっと同じ場所に座って会話をするというとても静的なシーンでした。
「時ノ記憶」はこれまでも何度か使われたBGMですが、こうしたゆったりとした会話の流れにとても合っているなと感じます。
末廣さんの少女終末旅行のインタビュー記事において、曲が長めに使われることを想定していた旨がありましたが、例えばこの「時ノ記憶」などが、そのような想定の下に作った曲なのかなあなどと想像しています。かなりスローテンポですし、流れを短めにぶったぎるのが中々難しそうな曲に聴こえます。
実際このシーンは曲の雰囲気がすごくハマってますし、原作を読む段階でそういうところまで予想して作れるのはすごい……と思います。
繰り返しですが、この「写真」はスローな時間の流れや二人きりの会話が魅力的です。
いつか全てなくなっても写真だけは残る…。そう聴いてすぐ、二人の記念写真を撮ることを思いつくチトが良いですよね。
普段はそっけなく振舞いつつも、ユーリの存在をどれだけ大事に思っているかが滲み出ています。
二人横に並んだ時のそれぞれの仕草に、言葉に表しがたい二人のお互いへの想いが詰まっているのがまた良いです。
寺院に差し込む光と「少女終末旅行-MainTheme-」
暗闇に光が差し込んで石像の姿が現れてくるシーンでは、「少女終末旅行 -MainTheme-」が使われました。
満を持して、メインテーマの初登場となりました。
このサウンドトラックの一番初めに収録されているこの曲ですが、初めの曲にふさわしく冒頭部で一気に世界観が脳裏に広がります。
雲のようにゆったりと優しく包み込むようなVocalがたまらなく好きです。あと純粋にメロディーが本当に綺麗。先ほど挙げた末廣さんのインタビューの中にあった「祈り」というキーワードにも頷けます。
このMainThemeの冒頭に「終ワリノ歌」のワンフレーズが提示されてるのが、ニクい演出です。
これにより、極楽を照らす存在である石像と「終ワリノ歌」の旋律の結びつきがこのシーンですでに示唆されているという風にも受け取れます。
だとすると、最終回に明らかになる「終ワリノ歌」とエリンギの間の結びつきが、決して唐突なものではなくこのように伏線が貼られていたという事になりますね。
狙ってやられたのかは分かりませんが、結果としてはかなり鳥肌モノな音楽演出になっているのではないでしょうか?
これは今回振り返ってみて初めて分かったことで、2周目以降で味わえる楽しみの一つだなと思いました。
「少女終末旅行 -MainTheme-」が流れているシーンの会話の中では、”暗闇の中でちーちゃんを見つけた時の方が安心した”というユーリの言葉が好きです。
これを言ってる時に直接ユーリの顔を写さない描写をするのが、セリフに味が出てさらに好きなポイントです。
直前の暗闇のシーンでの「ちーちゃんがいなくなったら私どうしよう……」というセリフにも、ユーリからチトへ向けられた気持ちの断片が感じられます。
そして暗闇の中チトを探すユーリの姿には、最終回のチトの姿が重なるんです。最終回、エリンギに食べられた(実際は無事でしたが)ユーリの後を追って「ユーがいなくなったら私は……」と走り回っていたあのチトの姿が。
こういう点で第4話と最終回を比べてみると、チトとユーリの間の双方向の関係性が改めて深まり、最終回の説得力もさらに増してくると思います。上で触れた「写真」のラストシーンなんかにもその関係性が滲み出ていますよね。
こう見ると、第4話には最終回まで繋がる大事な要素がたくさん詰め込まれているんだなと感じました。
ということで、今回は第3,4話の音楽やストーリーを振り返ってみました。
次話以降もまたマイペースな感じで書いていくと思いますので、よろしくお願いします。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回に続く。 -> 次回、第5,6話
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ようやくガルパン最終章第1話を見た人のさくっと感想。
公開から1ヶ月、ようやくガルパン最終章第1話に足を運んで参りました。
※ガルパン最終章第1話のネタバレを含んで感想を記します。ご注意ください。
そもそもですが、私はガルパンシリーズを最初に視聴したのが去年の秋くらいという圧倒的遅さでして……
もっと前からこの作品を知っていれば、リアルタイムで色々と楽しめただろうに……と後悔している次第でございます。
ただ2015年公開の前回の劇場版作品は、去年秋頃に駆け込みで映画館鑑賞することができ、その臨場感と迫力と試合展開の面白さをしっかりと堪能することができました。
(2015年公開の映画を2017年に劇場上映してるって普通じゃないよな……(笑))
そんなこんなでにわかにガルパンにハマった私は、今回の最終章第1話も無事映画館に足を運ぶのでした。
そろそろネタバレ防止のための行数稼ぎも十分だと思うので、感想に入りたいと思います。
少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第2話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話について、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして、振り返り感想を記したり劇伴音楽の使われ方について考えたりしていきます。
前回分(第1話)はこちらから。
次回(第3,4話)はこちらから。
[注]最終回までのネタバレを含む形で書いているので、まだ全話見ていないという方はご注意ください。
第2話『「風呂」「日記」「洗濯」』
劇伴音楽とストーリーの対応表は以下になります。
それでは、何シーンか振り返りをしていきたいと思います。
「弾ム心」と”極楽”なお風呂
チトとユーリが、配管から湧き出たお湯をためて作ったお風呂に浸かるシーンでは「弾ム心」が流れました。
前回もイイ所で使われた音楽です。
チトとユーリのとろ〜んととろける顔から、お風呂の気持ち良さが伝わりますね。
以前別の記事でも書いたんですが、誰も使わなくなった配管の熱水と廃材の組み合わせで即席風呂を作るというアイデアが、終末世界ならではでワクワクします。終末×日常の魅力が詰まっていました。
第1話のような「前進」と「停滞」という枠組みで考えれば、「停滞」に相当するシーンでしょう。
気持ち良くお風呂に入る二人からは、前回の第1話に続き、「停滞」することの積極的な価値が感じられます。
寒い雪の中をケッテンクラートで進む冒頭のシーン(BGM:風ト廃墟ノ散歩道)がありましたが、このお風呂のシーンと対になっていそうです。
「寒い」と「暖かい」という分かりやすい対比に絡めて、”極楽=死後の世界”というキーワードが語られています。
「私たちは実は真っ白な死後の世界にいるのでは」という問いかけが最初に成されたのは、物語冒頭の寒さに凍える「風ト廃墟ノ散歩道」のシーンです。
しかしそこでは、「死後の世界って暖かいんだって」というセリフにより、”寒い雪の中=死後の世界”という説は否定されていました。
後に二人が暖かい風呂に入ると、思わず「極楽極楽」と口にします。ここで、”暖かいお風呂=極楽(=死後の世界)”という結びつきが誕生しています。
お風呂を満喫するという充実した「停滞」側のシーンが、極楽=死後の世界と結びつけて語られている事は、なんとなくですが重要な意味を持つ気がします。
というのも、「極楽」というキーワードは後に第4話で寺院の石像が明るく照らす世界として説明されるからです。実際第4話でもお風呂に対する言及があります。
そして最終話で明かされた”石像”の正体を考えれば、石像が照らし見守る「極楽」とは、まさにチトとユーリの旅するこの終末世界そのものを暗に示しているように感じます。
こう考えると“風呂(=停滞)-極楽-終末世界”というキーワードの繋がりが見えてきて、「二人でお風呂を満喫する」シーンに、「終末世界だって二人なら生きていける」という最終回のメッセージの片鱗が見られるように思えてきます。
なにはともあれ、やっぱり二人一緒なことが大切ですね。
本をくべるユーリと「チーズって何?」-感情誘導と、無音との対比
ユーリがチトの本を焚き火にくべてしまい、チトがふて寝するシーンでは「チーズって何?」が使われました。
本来ならブチ切れモノだと思うのですが……(笑)まあ実際怒ってますけども。
翌朝のやりとりには二人のいじらしさがにじみ出る回となりました。
ともすれば険悪なムードになってしまいがちなこのシーンをコミカル/マイルドに仕上げているのは、ゆるふわ調な絵のタッチの影響もありますし、やはりBGMによる救いもあるでしょう。
前回第1話でもBGM「チーズって何?」が担っていたのと同様、”ここは肩の力を抜いてて良いんだよ”と、見る側を少しコミカルな気持ちに感情誘導する役割を担っていると考えられます。
実際、頭の中でBGMを消してこのシーンを見てみると、必ずしもコミカルに取れないように感じます。
ユーリの顔が本で潰されて変顔になっているあたりは音楽を消してみてもコミカルさを感じられますが、続くシーンでのユーリの顔を見ていると、非常に悲しそうで、悪いことをしてしまったという自責の念・後ろめたさがかなり濃くある気がします。
だからこそ「このチーズって何?」が、ある意味視聴者にとっての救いというか、シーンの空気が深刻になりすぎないように誘導してくれていた縁の下の力持ち的な存在であることが感じられます。
こういうのが、無意識レベルで音楽が仕事をしている一つの例なのかなと思いました。
加えて、「チーズって何?」が持つもう一つの重要な音響演出上の意味は、その後のシーンとの性格の対比を生み出す事にもありそうです。
本を焼かれて怒るチトと謝るユーリのドタバタと、その後に訪れるユーリの孤独という前後のシーンの性格付けを、コミカルな曲(「チーズって何?」)と無音との対比によって演出していると捉えられます。
無音と言っても、正確には吹き抜ける風や建物の軋みや焚き火の音が響き渡っているわけですが、一番大きいのは二人の声が有るか無いかの差でしょう。
実際、BGM「チーズって何?」の鳴り終わりのタイミングに着目すると、BGMの終止直前にユーリの「ちーちゃん、」という呼びかけがなされますが、これに対してチトの反応は無くBGMは終止して、そのままセリフの無い無音地帯に突入します。
まとめれば、
音楽 : 「チーズって何?」 -> 無音(環境音のみ)
性格 : ドタバタ -> 孤独
声 : セリフあり -> セリフなし
という同期した切り替わりがあり、声の有無やシーンの性格の対比を音楽によってさらに補強するような使い方になっているのではないかと思います。
「優シイ日々」と「べつに」のニュアンス
吹雪の去った翌朝、チトとユーリが出発する場面では「優シイ日々」が使われました。
一晩あけてちょっと気まずいユーリとチトの距離がほほえましい展開です。
“ごぬんね”を見てもらうときのユーリは少し気恥ずかしそう。この二人の絶妙な距離感が全編にわたっていい味出してるアニメとも言えますね。
チトの「べつに。」のニュアンスの変化がすごく良いですよね。1回目より2回目の方が少し明るい感じで、少し心穏やかな感じが伝わってきます。こういう微妙な違いを作り出せる声優さんってやはりすごいですよね。
「優シイ日々」は、屋内でのシーンから晴れ渡った屋外のシーンへの切り替わりと共に流れ始めます。チトの少し和らいだ心の内を示すかのように、優しく穏やかな曲調ですね。
天候によって登場人物の心の内を表すっていう方法は良く使われていますけど、やっぱり見ていて気持ち良いです。
音楽 : 無し -> 「優シイ日々」
「べつに」のニュアンス : 少し曇った -> 少し穏やか
天気 : 屋内 ->晴れた空
という、音楽や天候を使って気持ちの変化を表す王道な魅せ方ながらも、やはり気持ちの良いシーンです。
ゆったりと停滞する二人と「君と過ごす日々」
「君と過ごす日々」は、チトとユーリが仰向けに寝そべりながら上層の話をするシーンで流れました。
二人でゆったり寝そべりながら上層を眺め、ただ何をするでもなく時間が過ぎていく。
第1話の「星空」や「戦争」のラストシーンに通じるところのある空気感でした。
なによりも、チトとユーリがこのゆったりとした時間の流れを満喫しているのが幸せそうで。
魚というキーアイテムによって、一気に上層へと世界観が広がっていくのが、今後のワクワク感をそそって良かったです。
このシーンの前にもチト達の足元にあるという海の話が出ていますし、この話を通して縦方向に世界がグワッと広がった感じですね。
ということで、今回の振り返りはここまでです。
本当は第3話もセットで書こうとしてたんですが、第2話だけで思いの外文章量がかさんだので、ここで一区切りとしておきたいと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回へ続く。 -> 第3,4話分へ
- アーティスト: 末廣健一郎
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