少女終末旅行の劇伴音楽使用シーンを考える-第3,4話-
本記事では、アニメ「少女終末旅行」各話について、サウンドトラックに収録されている劇伴音楽が使われたシーンを軸にして、ストーリーや音楽を振り返ろうと思います。
前回分(第2話)はこちらから。
次回分(第5,6話)はこちらから。
[注]最終回までのネタバレを含む形で書いているので、まだ全話見ていないという方はご注意ください。
ストーリー・劇伴音楽対応表
第3,4話分の音楽使用シーンをまとめたものです。
※鳴り始め・鳴り終わりは、各話開始時点から測った時間です。
曲番号は、 TVアニメ『少女終末旅行』オリジナルサウンドトラックに準拠し、
(ディスク番号)_(トラック番号)
を意味します。
例えば"1_5"なら、ディスク1の5曲目を指します。
第3話に関しては、本編を見ただけだと小話ごとの区切りが分からなかったため、画像では”?”と記しました。
第3話『「遭遇」「都市」「街灯」』
カナザワという、第三者が初めて登場してくる話数でしたね。
今後に繋がるキーアイテムであるカメラがカナザワから手渡された回でもありました。
以下では2シーンほど選んで、音楽や本編を振り返ります。
「予兆ト警戒」による緊張感の演出
チトがタバコの吸殻を見つけてから、カナザワが登場するまでの緊迫感を演出したのは、「予兆ト警戒」です。
「誰かいる!」というセリフとともに、警告のサイレンのような弦楽器からこの曲が始まります。
他の劇伴曲では多く聴かれた、包み込むようなハープやピアノの音は無く、心臓の鼓動のようなドラムのリズムが不安を誘います。
これは明らかに、緊張感を煽るための曲として使われているように感じます。
ここでは、緊張感/不安感の発生から消失までの流れとBGMの対応を、すこし細かく考えてみました。
先程触れたように、このBGMの始まりは、タバコの吸殻を見たチトがそれを”未知の誰か”の存在と結びつけた瞬間、すなわち「誰かいる!」というセリフと対応していました。
これまで世界に二人しかいないと思ってきた所に初めて登場した第三者ですから、決して大げさな反応ではないでしょうね。
その後一旦ビルの崩壊音直前で曲が途切れますが、タイトルコールを挟んで再び同じ曲の後半部分から再生が始まり、緊張感は途切れません。
今度は、カナザワのセリフ(声)と関連づけてBGMの終わり方を見てみたいと思います。タイトルコール後に姿を現したカナザワの発する声は、
①うめき声のような何か
→②咳き込む声
→③ふつうに発声
という風に変わっていきます。BGMが途切れているのはちょうど②の直前。
①の声からは、”言葉が通じない未知のモノ”みたいな印象を受け、わりと不気味な存在に見えます。どこか人間らしさが感じられないというか、ゾンビみたいなイメージでしょうか。
対して②の咳き込む声は、①よりは人間っぽさが増し、実際それを聴いてチトとユーリの表情も少し和らいでいます。緊張感が少しほぐれているのが想像できそうです。
そして「大丈夫?」とカナザワに話しかけてみると、③のように通常の発声で返答が来るという流れです。
こうして見ると、チトとユーリの”未知のモノ”への緊張感/警戒心がカナザワが発する声の変遷と共に和らいでいるようで、その緊張感のオンオフに対応してBGMもオンオフしているように見えます。
要は、”緊張感が生じた瞬間から消える瞬間まで”を補強するようにBGMが使われ、
そして、どのタイミングで緊張感が生じそして消失したかは、発されるセリフ(声)と関連づけて考えられそうです。
結論としてはかなり普通の事っぽいですが、曲の鳴り始めと終わりが丁寧に設計されているシーンだと感じられます。
余談ですが、のちに第6話でイシイという第三者に出会う時は、このような緊張感を煽る曲でなく、どちらかといえばコミカル寄りな曲「行動ト前進」が使われています。
対して今回がここまで緊張感の高いシーンになっているのは、初めて出会った第三者であるという点がやはり大きいのかな、などと思います。
生きがいを失うカナザワと「喪失」
カナザワが昇降機から地図を全て落としてしまいひどく落胆するシーンでは、「喪失」が使われました。
これまで着実に作成してきた、生きる目的とも言える地図を失うという、見てる側も結構精神ダメージを負いそうなシーンでした。そりゃ落ち込むなあ……。
曲も、他にあまりないようなずーんと沈む感じの曲調。結構使用回数が低いBGMだと思います。
チトとユーリと出会う前からずっとコツコツ積み上げてきた生きがいを無くしたカナザワ。
しかし、その後街灯の明かりを眺めながらのユーリとのやりとりが好きです。
ユ「意味なんかなくてもたまにはいいことあるよ」
カ「こんな世界でも?」
ユ「たぶん。だってこんなに景色がきれいだし」
こういうスタンスはまさに少女終末旅行の作品観そのものに近い気がします。
明確な目的がなくても、星空を眺めたり、雪の上で戯れたり、お風呂でくつろいだりしながら、旅を続けてきたユーリだからこそ出てきたセリフという感じがします。
生きがいが無くなっても価値あるものは見つけられるじゃない、という励まし方がすごく好きですね。
こうして見ると、この第3話におけるカナザワって第6話のイシイと似ているところがあるな、とも思います。
チトとユーリと出会う前からずっと明確な目的に向かってコツコツと進捗を生み続けてきて、でもチト達と出会ったところで最後の最後で失敗をして、でもその後”絶望との付き合い方”を学んで……という。
そんな事を考えつつ今話もじっくりと余韻に浸れた引きでした。
第4話『「写真」「寺院」』
第4話における劇伴音楽の特徴として、使用された曲の種類が5曲と他の話数に比べてかなり少なめな事があります。
その代わり、一つ一つの曲が長回しで使われている場面が多いですね。
これまでの話数ではほとんど無かった3分以上の曲の長回しが5曲中3曲も現れます。
(第3話では一回ありましたが)
ここではそれらの曲にも着目しつつ、音楽を振り返ってみたいと思います。
「ケッテンクラート」の曲構造とシーンを照らし合わせてみる
「寺院」の話における「ケッテンクラート」のシーンはさほど長回しではありませんが、前進感/推進力を生み出す音楽と言えると思います。
個人的にこの曲の面白いところは、二段階に前進感を生み出せる所だと思います。
“二段階”とは何ぞやというのを、具体的にこの「寺院」の冒頭シーンを例にとって見てみたいと思います。
BGM「ケッテンクラート」の流れている場面には、二段階の前進が描かれています。
①ケッテンクラートに乗っての前進 : 〜寺院の入り口で停車するまで
②徒歩での前進 : 歩き始めてから、立ち止まりサブタイトルが出るまで
二人がどんどん建物の中へ進んでいくシーンを、この2つのフェーズに分けて見てみます。
一方、劇伴「ケッテンクラート」の曲の構造を見てみるとこの場面との対応が見えてきます。
言葉で伝わりづらいので以下のように図で整理しました。
サウンドトラックに収録された曲「ケッテンクラート」を聴くと、大まかにA-B-A’-B’の4部分に分けられそうです。*1
この分類は、主にメロディーラインの有無を根拠にして考えています。
A(A’)は、弦楽器の刻みのリズムに乗ってメロディーラインが演奏される部分。メロディーというのは、上の試聴音源の冒頭に聴くことができると思います。
一方B(B’)は、弦楽器などによるハーモニー(音の伸ばし)が主体の部分となっており、Aにあった弦楽器の刻みのリズムやメロディーは無くなります。
AとA’(BとB’)は、細かい違いはあれど非常に似た構造である事を意味します。*2
さらに曲全体は、似た展開を持つ前半部分(AとB)と後半部分(A’とB’)に分けられ、図ではこれが赤い点線で示されています。
ですから、A-Bという似た構造を2回繰り返している曲であると大まかに理解できます。
同じ展開を前半と後半で2回繰り返すこの曲構造が、先ほど見た二人が建物の中へ進んでいく2つのフェーズにうまく対応して使われているのが面白いので見てみます。
曲の前半部分は①ケッテンクラートによる前進、後半部分は②徒歩による前進に対応し、物語にある”二段階の前進”がうまく曲の展開に対応付いています。
さらにみると、前半後半それぞれについて、進んでいる最中のシーンにはAが対応し、一旦立ち止まるシーンにはBが対応しています。
個人的に一番好きなのはBからA’への移り変わりです。一度ケッテンクラートを停車させた状態から、再び前へ歩みを進める駆動力を生み出すのが、曲のA’部分における弦楽器のリズムだったりメロディーラインだったりするように感じます。
長々と書きましたが、二人がどんどん進んでいく様子を曲の構造とうまく対応させながら後押している所に工夫を感じます。
初めからこのような効果を具体的に狙って作曲されたとは考えにくいですが、実際にこのシーンを作る際にこのような曲のはめ方を生み出すセンスはすごい……と感じます。
偶然の産物のように思えますが、後の第8話「螺旋」における「ケッテンクラート」の使用シーンでも、BからA'への移り変わりを利用して停車状態から再び進み始める推進力を作っています。
結構確信的にこの曲の構造を利用しているのではないかな、なんて想像しています。
二人の会話と「時ノ記憶」
「時ノ記憶」が用いられたのは、カメラで撮った写真を二人で振り返る夜のシーンでした。
一つ前のケッテンクラートで進むシーンとは打って変わって、ずっと同じ場所に座って会話をするというとても静的なシーンでした。
「時ノ記憶」はこれまでも何度か使われたBGMですが、こうしたゆったりとした会話の流れにとても合っているなと感じます。
末廣さんの少女終末旅行のインタビュー記事において、曲が長めに使われることを想定していた旨がありましたが、例えばこの「時ノ記憶」などが、そのような想定の下に作った曲なのかなあなどと想像しています。かなりスローテンポですし、流れを短めにぶったぎるのが中々難しそうな曲に聴こえます。
実際このシーンは曲の雰囲気がすごくハマってますし、原作を読む段階でそういうところまで予想して作れるのはすごい……と思います。
繰り返しですが、この「写真」はスローな時間の流れや二人きりの会話が魅力的です。
いつか全てなくなっても写真だけは残る…。そう聴いてすぐ、二人の記念写真を撮ることを思いつくチトが良いですよね。
普段はそっけなく振舞いつつも、ユーリの存在をどれだけ大事に思っているかが滲み出ています。
二人横に並んだ時のそれぞれの仕草に、言葉に表しがたい二人のお互いへの想いが詰まっているのがまた良いです。
寺院に差し込む光と「少女終末旅行-MainTheme-」
暗闇に光が差し込んで石像の姿が現れてくるシーンでは、「少女終末旅行 -MainTheme-」が使われました。
満を持して、メインテーマの初登場となりました。
このサウンドトラックの一番初めに収録されているこの曲ですが、初めの曲にふさわしく冒頭部で一気に世界観が脳裏に広がります。
雲のようにゆったりと優しく包み込むようなVocalがたまらなく好きです。あと純粋にメロディーが本当に綺麗。先ほど挙げた末廣さんのインタビューの中にあった「祈り」というキーワードにも頷けます。
このMainThemeの冒頭に「終ワリノ歌」のワンフレーズが提示されてるのが、ニクい演出です。
これにより、極楽を照らす存在である石像と「終ワリノ歌」の旋律の結びつきがこのシーンですでに示唆されているという風にも受け取れます。
だとすると、最終回に明らかになる「終ワリノ歌」とエリンギの間の結びつきが、決して唐突なものではなくこのように伏線が貼られていたという事になりますね。
狙ってやられたのかは分かりませんが、結果としてはかなり鳥肌モノな音楽演出になっているのではないでしょうか?
これは今回振り返ってみて初めて分かったことで、2周目以降で味わえる楽しみの一つだなと思いました。
「少女終末旅行 -MainTheme-」が流れているシーンの会話の中では、”暗闇の中でちーちゃんを見つけた時の方が安心した”というユーリの言葉が好きです。
これを言ってる時に直接ユーリの顔を写さない描写をするのが、セリフに味が出てさらに好きなポイントです。
直前の暗闇のシーンでの「ちーちゃんがいなくなったら私どうしよう……」というセリフにも、ユーリからチトへ向けられた気持ちの断片が感じられます。
そして暗闇の中チトを探すユーリの姿には、最終回のチトの姿が重なるんです。最終回、エリンギに食べられた(実際は無事でしたが)ユーリの後を追って「ユーがいなくなったら私は……」と走り回っていたあのチトの姿が。
こういう点で第4話と最終回を比べてみると、チトとユーリの間の双方向の関係性が改めて深まり、最終回の説得力もさらに増してくると思います。上で触れた「写真」のラストシーンなんかにもその関係性が滲み出ていますよね。
こう見ると、第4話には最終回まで繋がる大事な要素がたくさん詰め込まれているんだなと感じました。
ということで、今回は第3,4話の音楽やストーリーを振り返ってみました。
次話以降もまたマイペースな感じで書いていくと思いますので、よろしくお願いします。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回に続く。 -> 次回、第5,6話
- アーティスト: 末廣健一郎
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2017/12/20
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