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『リズと青い鳥』感想【ネタバレ有り】

映画『リズと青い鳥』、ついに公開しましたね。
あの宇治での衝撃の製作発表からずっと、待ちに待ち続けてきました。

liz-bluebird.com

はじめに

本当に待っていて良かったと思えた映画でした。一本の映画としての完成度や精密さもさることながら、「響け!」ファン・原作ファンの1人としても存分に楽しめる一本でした。

90分という時間は短いように思えますが、実際観てみると常に高密度で映像と音とセリフとが降ってくるので、正直もっと長かったら集中力が持たなかったかもしれません。ちょうどよかったです。

「久美子の物語」であるはずの原作から視点を変え、希美とみぞれを世界の中心に置いて描いたらどうか。そのような大胆な挑戦をしようとしている様に見え、始まる前は正直不安と怖さが大きかったです。実際公開されてみると、観ててとても考えたくなる/語りたくなる映画でした。


この記事で感想を書いてみて、「全然思考まとまってないなこの人…!」と自分でも思います。

しかしこの映画を見た新鮮な感動の断片を少しでも"冷凍保存"しておきたい。まだ頭が整理されていないながらも、思いついただけのことを記していく次第です。

※ネタバレ有り感想です。ご注意ください。

閉じた世界と、その外側

この映画を見て感じたことは、閉じた世界という印象でした。みぞれと希美だけの、とても小さくて壊れそうな世界。それは本来閉じられていて、我々観客が容易に観ることができるべきではないでしょう。だからこそ、この映画がわかりやすいエンタメ性を持ちあわせていないのも、当然なのかもしれません。


この閉じた世界はまず映画冒頭で、細やかな描写で現れてきます。
冒頭部、童話の世界の小鳥の鳴き声が劇場を取り囲んで響きます。現実世界へ移ると再び小鳥の鳴き声に囲まれて、希美とみぞれ二人のための世界を用意します。みぞれが待つその世界(=学校)にやってくるのは、希美。背景へのピントの合わなさが、みぞれがいかに希美しか見ていないのか、どんなに閉じた世界を見ているのかを感じさせます。背景に咲く綺麗な白い花も、回想の中での見事な桜のピンクも、すべてにボケがかかっており、そこにあるのはみぞれと希美だけの閉じた世界です。*1音楽室まで歩いてゆく過程での屋内から窓の外の眺めも、とても見えにくい。光量がかなり多く眩しいのです。
2人以外の外の風景を排除するような、小さく閉じた世界。それがとんでもなく繊細なものとして現れていると感じました。パンフレットのインタビュー中の言葉を使えば、学校という「鳥かご」の世界に入っていくシーンでしょう。


と思うと、次にその世界の外側が現れてます。それは優子であり、夏紀であり、久美子であり……。2人だけのセッションの終わりを注げるように、彼女たちは登場します。そして希美は優子たちとも積極的な交友関係を持っているのです。でもみぞれは希美しか見ていない。希美はみぞれ以外も見ているのに。その決定的な溝がこの音楽室のシーンで示されます。「響け!ユーフォニアム」という群像作品とは違い、この映画では − そしてみぞれにとっては − 彼女たちは"世界の外側"の存在なのではないかと、私は感じてしまいました。優子がそこに入っているように見えるのが、切ないです。吹奏楽部そのものが主役だった「響け!ユーフォニアム」とは対照的に、みぞれにとって吹奏楽部そのものは世界の外側にあるもののように私は感じます。ここらへんの描写の割り切りが原作に負けず劣らず残酷です。



だから、みぞれにとって世界の内側には希美だけが居て、世界の外側とは希美以外のモノであり希美を自分から引き離すモノ。*2

このような、閉じた世界の内と外の印象を受けました。



冒頭部分以外でも、できるだけ閉じた世界を作るような工夫があるように感じます。これは特に、原作からの改変部分で顕著です。
例えば、みぞれと打ち解けられない梨々花が廊下で希美に相談するシーン。原作では外食しながら久美子に相談していました。
もう一つは、クライマックスの合奏シーンの後、希美の所にみぞれが赴くシーン。ここも原作では希美の元へ向かったのは久美子でした。
特に後者は、私が原作を読んだ時に一番「劇場版でどう処理するんだろう?」と疑問に思ったところでした。原作は久美子の視点で進む話ですからこういう配役になりますが、希美とみぞれの物語ではどうなるのか?

出てきた答えは「配役を改変してしまう」でした。すごく大胆です。
しかし、これも希美とみぞれの世界を閉じたものにするための工夫であると考えられます。学校外のお店や久美子という存在など、世界の外側をできるだけ見せない意図があるのだと思います。一つの物語を作り上げるためなら多少大胆な事でもやるというのは、「届けたいメロディー」からも引き継がれている精神なのかな、などと思います。

剣崎梨々花 − みぞれの世界を開く存在

中盤以降、みぞれの閉じた世界が少しずつ開かれていくような兆候を見せはじめます。
そのためのキーマンとなるのが剣崎梨々花その人でしょう。

「ぱぁ」とみぞれの目の前で手を開かせ、あっけらかんと登場する梨々花。気だるげな話し方とかキャラデザとか、個人的には原作から感じたイメージに結構近かったです。ついでにファゴットにも触れておくと、なんでコントラファゴットなんてマイナー楽器を所有してるんだこの学校は!?とツッコミたくなります。滝先生のツテでどこからか借りてる線もありそうですがね。


さて、本筋の振り返りに戻ります。
一言で言えば、みぞれを内から外へと引っ張り出す存在が梨々花なのだと思います。プールの写真を見せてくれたり、オーディションの結果が語られたり……みぞれと希美だけの世界には必要のないはずの外の世界の情報は、梨々花を通して吹き込まれます。*3 これは、ずけずけっと人の領域に入っていける(悪口じゃないよ!)梨々花だから可能だったのかなと思います。


梨々花のテーマ(ダブルリードのテーマ?)も非常に印象に残ります。梨々花やファゴットの面子がみぞれの前に現れると、"お約束"のようにあのテーマが流れ、少しコミカルな雰囲気さえ感じます。
この曲は、他の牛尾さんによる劇中音楽に比べるとかなり異色に聴こえます。ビーカーや窓や壁になってひっそりと見守るような音楽とは、かけ離れています。言うなれば、ここだけ"アニメでよくある感じのBGM"なのです。 しかし、これは単に「登場人物のテーマ」である以上に、積極的な意味を持つのだと感じます。というのも、梨々花はビーカーや壁のようにひっそり隠れてみぞれを見守る必要はないのです。みぞれの前にずけずけっと現れ、少し強引にでも外の世界へと引っ張っていく。そんな役割を負った梨々花だからこそ、彼女のBGMもずけずけっと我々の前に現れる必要があるのではないでしょうか。オーボエファゴットが輪郭のはっきりした音色を持つ楽器であることも効果的に効いてると思います。
梨々花のオーボエの音やファゴットの音というのは、本来みぞれにとっては「外の世界の音」です。それがこんな風に堂々とBGMとして現れてくるのは、この作品では普通の事ではないはずなのです。


梨々花からのアプローチと同時に新山先生からのアプローチをも受け、みぞれの世界は少しだけ外へと開いていきます。
すると、これまでに無かった音が作品中に増えてきました。みぞれの弾いたピアノの音もそうだし、梨々花とのオーボエデュエットの音も、希美と二人の閉じた世界には決して無かったはずの「外の世界の音」です。
映像面でも、このあたりから窓の外を鳥の影がちらつき始め、窓が開いている事も多くなります。みぞれがプールに希美以外の人を誘おうとするシーンなんかが顕著だと思いました。
みぞれの世界が少しずつ、微妙に開かれていく様をつぶさに表現しており、一瞬も見逃せません。

このあたりから、今度は希美からみぞれへの執着が現れてくるんですが…、そこについては後日また感想を書くことにしたいと思います。

見てはいけないものを見た

クライマックスの演奏シーンは、おそらく原作既読者が最も期待していたシーンの一つではないでしょうか。
そうきたか!と思いました。オーボエ以外の音がだんだんと消えてゆく。みぞれの音しか聴こえない。明らかに自分より、うまい。
希美の抱いていたみぞれへの執着というものが、合奏シーンでこういう形で表現されたのは、予想外でした。ここでも、希美とみぞれの音だけ=世界の内側と、フェードアウトするその他大勢の吹奏楽の音=世界の外側という、構図が顕現していると思います。でも今回はみぞれから希美への執着ではなく、逆なのです。

正直、純粋な熱量という点では原作の方がまさったのかなと個人的には思うのですが、この映画全体の流れの中では会心の演出なのではないか?と感じています。


そして、そのあとの希美とみぞれの対面。これは完全に「見てはいけないもの」だと確信しました。
考えても見てください。あんなシーンを第三者が目撃していいわけがないです。"ビーカーや壁の気持ちになってひっそりと見守る"というコンセプトの意味がここでやっとわかりました。

この対面では二人の距離感が一気に縮まる、見た目は静的だけど中身はすごく動的なシーンだなと思います。冒頭の音楽室のシーンを思い出してみると、二人の髪の毛の距離感は信じられないほど繊細でした。髪の毛一本、擦れるか擦れないかの距離で、ギリギリ触れないくらいの絶妙な距離感。あれが、今回のシーンでは一気に体と体が触れ合う距離まで急激に縮まるのです。

このような急激な距離の接近、どこかで見たことはないでしょうか。そう、「響け!ユーフォニアム」第1期第8話、大吉山のシーンそのものだと私は思います。あれも、本来第三者が目撃していいものではないと、私は思うのです。本来茂みに隠れて見守るべきシーンだったと。この大吉山のシーンは、1クール作品の山場にふさわしいほどドラマチックに演出されていました。 BGM「意識の萌芽」の盛り上がりとともに風は吹きドレスは翻る。しかし一方「リズと青い鳥」では、真逆を行くように静かです。音楽は身を潜めるかのようにほとんど存在を主張しません。本来なら、映画のクライマックスシーンですよ?ここぞとばかりに音楽と演出で盛り上げるべき所でしょう。しかし全体の抑揚を失ってしまうかもしれないリスクを取ってまで、このように静かなシーンを作ったんですよね。これも全て、「見てはいけないもの」を観客席で見ているという自覚があるからなのだと思います。


また同時にこのシーンは、第2期第4話の変奏でもあるのではないかと思うのです。
「私さ、中学の時からみぞれのオーボエ好きだったんだ」
そう語った第2期のあの時の「好き」と、今の「好き」は同じでしょうか。
多分、ここでみぞれと希美が言ってる「好き」っていう言葉、互いに全然違う意味だと思うんです。特に希美の発した「みぞれのオーボエが好き」。この「好き」には表面上感じるのよりもっと、ドロドロしたもの羨望や自分への嫌悪、そういったものが全て込められた「好き」だと思います。でもみぞれはそうは受け取っていないのではないでしょうか?
あの時も今回も、やっぱり二人は微妙にすれ違い続けていると私は思います。そしてこれからも、すれ違い続けるのかもしれない。映画の最後の下校シーンでも、二人の歩調は一瞬合ったかと思えばまたずれてしまったりします。



同じように見えて、ずれてる。対称なように見えて、非対称。リズでもあり、青い鳥でもありそうな二人。

これはハッピーエンドでしょうか?私にはまだわかりません。

音と音の境目

この映画、ほんとうに物音と音楽の境目がわからないのです。

フグの水槽の「ジーーー」という低音。これが一瞬楽曲の音のように聴こえたり、また途切れた時には水槽の音だったのか、と思ったり。

希美が「私もその大学受けようと思ってる」と告げるシーン。遠くで聴こえていた楽器の音だと思っていたけど……あれ?違う音が入ってきて、これは楽曲の音なのか?とわからなくなったり。

冒頭や最後のシーンでは、二人の足音が楽曲とミックスされるようリズムや音高がコントロールされていると思います。


物音なのか楽音なのか?その境目をぼやけさせるような所が非常に多いです。


ミックスがかなり破壊的なやり方の部分もありました。梨々花が「のぞ先輩、つぼ先輩」といったあだ名を立ち聞きするシーンでは、例の"ダブルリードのテーマ"が流れてます。しかしその裏ではオーボエが練習をする音がかなり大きめに聴こえています。「あれ、これBGMとオーボエの音どっちを聴けばいいの?」ってなります。正直わかりません。ここらへんも面白いところです。

また、童話の世界と現実の世界の音のつなぎ方も、まるで魔法のように接続されています。松田さんと牛尾さんという違う二人の作曲家が、童話と現実それぞれに音楽を当てているはずなのに、なぜかする〜っと滑らかに現実に戻ってくるんですよね。ここでも二つの音楽の境目(同時に二つの世界の境目)を目立たせないように工夫されてると感じました。具体的にはどんな工夫?と言われてもまだ分からないんですが。

このように、音楽的な面白さも見逃せないアニメ映画となっていると思います。

その他何点か

・青い鳥のハネのモチーフとして、オーボエ小ハネを小道具として使う発想には、やられた!と思いました。他にもリードに巻く糸の色を赤にしていたりと、オーボエ用品に赤と青という色彩を仕込むところは抜け目ないなあ…と感じました。


・一瞬だけ低音パートの練習風景が映りましたね。ファンサービスも忘れない。そして彼女は後ろ姿だけしか映らないと…。劇場版「北宇治高校吹奏楽部へようこそ」であったみぞれのチラ見せに近いような気がします。


・西屋さんデザインの久美子、動くとかわいい。*4





頭ぐちゃぐちゃなのがわかる文章になってしまいましたが、記録しときたい気持ちはだいたい記録した!と思います。

何回か観て落ち着いてきたら、
・音楽のコト
・原作のコト
・テレビシリーズのコト
も交えてもっと色々考えて観たいな〜と思っています。

なにはともあれ、このような味わい深いアニメ映画を作ってくれて、山田監督はじめスタッフ/キャストの皆さんには、本当にありがとうと伝えたいです。
サントラも絶対買いますよ〜

*1:このあたり、『聲の形』を思い出します。

*2:例の髪の毛を触るクセは、みぞれが世界の外側を意識させられた時に顕著な気がします。例えば進路調査の話が出た時だったり、優子がコンクールに向けてのスピーチをする時だったり。

*3:後に触れるように、新山先生を通しては、将来の進路というこれまた外の世界の情報が入ってくるのです。

*4:控えめに言ってますけどほんとに良かったですよ。一番最初の音楽室入ってくるシーンと、外で麗奈とデュエットしてるシーンくらいしか主な出番なかったですけど。特に一番最初の音楽室入室の時の感じが。ホームページの静止画見てるだけだと分からない良さがありましたね。髪の毛の色合いとかちょっとテレビ版とは印象違う気がしますが、そこが少しシックな印象を作っててなんかうまく言語化できないけど良かったです。あとテレビ版より物腰柔らか?な印象を受けたかもしれないです。