アニメと日々を見聴きする。

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映画「聲の形」と牛尾憲輔さんの楽曲 - agraph「the shader」から受け継がれているもの

はじめに

なぜ公開から1年半以上経った今こんなタイトルで記事を書いているのか?

実は最近『聲の形』を再び見る機会があったのだが、かなり愕然とした。
「自分はなぜ公開当時、これを何回も観に行かなかったのか?」

ストーリーが重くてなかなか気軽に観に行ける作品じゃなかった…というのが正直な所だが、しかしやはり当時の自分はこの作品の魅力をあまり理解できてなかったのだと思う。


中でも、牛尾憲輔さんによる音楽の魅力が自分の中で一気に増している。
ピアノのノイズを積極的に取り込んだ柔らかい響き、聴覚障害という要素、周りを直視できない将也の内面…ストーリーと音響がマッチして一つの世界観を作り上げる。わかりやすいメロディーを聴くというよりはその響きを楽しむような楽曲の数々。つらい場面でもどこか包容感を覚えるような音楽。 牛尾憲輔さんによる楽曲がなぜこんなにもマッチするのか。

映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]

映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]

その根本にあるモノを見るべく、私は牛尾さんへのインタビュー記事をいくつかあたってみた。この記事では、それらの内容を元に

聲の形』で牛尾さんはどんな音楽を作ろうと考えたのか?
牛尾さんがagraph名義で出したアルバム「the shader」から受け継がれたモノは何なのか?
なぜ牛尾さんの楽曲は『聲の形』とマッチしたのか。

こんな事を自分なりに整理してみたいと思っている。


[参考にした記事一覧]
【1】音楽 | 映画『聲の形』公式サイト
【2】美しくやさしく将也たちの世界を包む、異例づくしの音づくり――映画『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー - Excite Bit コネタ(1/11)
【3】ラストの曲は、京アニ近くの河原で泣きながら思いつきました――映画『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー - Excite Bit コネタ(1/11)
【4】agraph「the shader」インタビュー (1/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
【5】interview with agraph - その“グラフ”は、ミニマル・ミュージックをひらいていく | アグラフ、牛尾憲輔、電気グルーヴ | ele-king

山田監督と牛尾さんが出会うまで

そもそも牛尾さんがこの映画の音楽担当に指名されるに至った経緯はどのようなものなのだろうか?

調べてみると、驚いたことに、元々お互いがお互いのファンだったようだ。
山田監督は、牛尾さんのagraph名義のアルバムをよく聞いていたという。そして牛尾さんもアニメファンであり、山田ファンだったという。この時点ですでに運命的な相性の良さがあるように思える。

そして牛尾さん自身も、agraphとしてのアルバム「the shader」の中でのやり方が、『聲の形』の中での音楽の在り方と相性が良かった事を発言しているのだ。*1


これらを考えると、agraphとしての牛尾さんの作曲活動、特にアルバム「the shader」において実践されていた方法や考え方を知る事が重要そうだ。
聲の形』において牛尾さんと山田監督の間に共有されていた音や考え。この源流をアルバム「the shader」を聴いて探って見ようと思う。

agraph「the shader」を聴いて

さて、agraph「the shader」である。

the shader

the shader

うーん、ジャケからしてカッコ良さそう。スタイリッシュな感じがする。


ちなみにこの記事は、アルバムの楽曲一つ一つを何か音楽的にどうこう言おうというものではない。 牛尾氏へのインタビュー記事の内容を元に、どのような理念の下でこのアルバムが組み上げられていったかを自分なりに整理していくものだ。*2


なにはともあれ音楽作品であるから、言葉であれこれ書く前に聴いて見るべきだろう。itunesとかにあります。

greyscale

greyscale

  • agraph
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  • ¥200

聲の形』の音楽が好きな人なら、気にいる方もきっと多いのではないかと思います。どこか掴みどころが無いように聴こえるが、漂っている世界観がクールな感じ。

「距離感」を作り出すという事

【4】の記事で牛尾さんはこのアルバムについて語っている。抽象的な風景・世界観を提示したいというのが「the shader」におけるスタンスのようだ。そして「世界観を見せる」という目的の下に、牛尾さんは聴き手に音楽を俯瞰させるような曲の組み上げ方を行う。分かりやすいメロディー、ノリやすいリズム - 普通我々聴き手が期待するようなこういう要素をあえて入れない(もしくは隠す)事で、我々に音楽を俯瞰させている。

だからメロディが鳴るような周波数帯域で音が鳴ってるんだけど歌えないとか、明らかにリズムの音をしてるんだけど踊れないとか、どんどんリスナーを突き放していこうと。リスナーに曲から遠ざかってもらって、俯瞰して見てもらうことで世界観を表に出すのがいい手だなと思って。

agraph「the shader」インタビュー (2/3) - 音楽ナタリー Power Push


要するに、音楽と聴き手の間の「距離感」を計画的に作り出そうというコンセプトがあるように思える。


この「距離感」というのが、『聲の形』に受け継がれた大事なコンセプトの一つだと感じている。
聲の形』でも、分かりやすいメロディーの曲をほとんど入れなかったり残響を深くかけたりして、"距離の遠さ,遠くにある世界観"を作り出している。この点で「the shader」との類似性を感じている。良い例がバッハの「インベンション」のアレンジ楽曲だ。

inv(I.i)

inv(I.i)

この曲は、バッハ作曲の「インベンション 第1番」の音列を元にしているそうだが、原曲とはかなり異なる、いわば"牛尾版インベンション"である。元のメロディーはこんな感じだ。

インヴェンション 第 1番

インヴェンション 第 1番

これが同じ曲だと初見で気づく人いるのか!?というくらいメロディーが原型から崩されている。
何が起こっているかを冷静に考えると、そもそも流れているものが"メロディーだ"と認識できなくなっているのではないか。つまり、元々あった分かりやすいメロディーをアレンジによって隠し、聴き手に距離を置いて音楽を聴かせようとしている。音の響きを聴いても、残響はかなり深くかかっており、「コソッ」というピアノの鍵盤を打鍵するノイズ音が優しくオーバーラップしていて、これまた我々を音楽から遠ざけようとしている。
これらは、「the shader」で実践されていた方法に近い。


「the shader」における牛尾さんの音楽へのアプローチから、「距離感」というキーワードを得ることが出来た。


曲の世界観、「同心円状」「影と光」

さて、「世界観を見せる」と言っていたがその世界観とはどのようなものか?そこをさらに掘り下げたい。*3

【5】の記事を読んでいると、二つの重要なイメージがあるように思える。

同心円状に広がる

影によって光が認知される

この言葉が具体的にどう「the shader」の音楽に落とし込まれているのかは正直わからないし、それはやはり何か文字で説明するべきものではなく、音楽を聴いて感じるべきものなのだろう。
牛尾さんの頭の中にあるものを完全に理解することは到底できないと思った。

ただ、『聲の形』との繋がりをのちに考えるとき、光と影の関係性についての考え方がアルバムの背景にあった事は重要かもしれない。
また「同心円状」という概念も、『聲の形』の中で何度も映像としても現れている。水面を広がる波紋のイメージが映画冒頭から繰り返し現れるが、これがそうだろう。


また、曲のタイトルやインタビュー内容から推察するに、かなり数学的なイメージを念頭に置いている気がする。
reference frameという曲によって座標軸を用意し、その舞台の上で幾何学的な模様が這い回るような、そんな世界を私は思い描く。このあたりが、常人には想像もできない牛尾さんの感性だと思う。放物線のパターンだとか、軸に漸近してゆく様子だとか、そんな数学的で抽象的な世界観を音楽に反映するなんてどういう事を脳内で考えているんだろう?と不思議に思ってしまう。

asymptote

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世界観を掘り下げる、などと言っておきながら、結局具体的なことは何も想像がつかなかった。
しかし、"光と影"のような抽象的な概念を電子音楽の世界に落とし込んで行く手腕が「the shader」で示されており、こういったものが山田監督とのタッグとの中でも発揮されていったのではないか、と推察できる。

聲の形』における牛尾さんの音楽

そろそろ『聲の形』における音楽の話に移りたい。


先日見た時も感じた事だが、やはりこの映画、音響面の濃密さから目が離せない(耳が離せない?)。 ここまで作品にマッチした楽曲が生み出せたのにはどんな要因があったのだろうか?


結論をまず最初に述べると、

山田監督の切り取った作品の方向性と、音楽家である牛尾さんが元々持っていた手法・理念が、コンセプチュアルに一致していた事

これが大きいと思っている。
さらに言えば、このコンセプトレベルの一致を得るために、綿密に擦り合わせが行われた事が重要だった。


このことを具体的に見ていこうと思う。


二つの点に注目して整理してみたい。

一つは「距離感」と「ノイズ」というキーワード。

もう一つは「光と影」というキーワード。

これらは「the shader」の時も出て来たキーワードだが、映画『聲の形』とどうつながるのかを考えたい。

「距離感」と「ノイズ」

まず一つ目の「距離感」や「ノイズ」について考えたい。『聲の形』においてなぜ距離感やノイズが重要となるのだろうか?
真っ先に思いつくのは聴覚障害、補聴器と言った作品の要素だ。実際これらについて牛尾さん自身も理解を深め、楽曲制作に生かしていると語っている。*4補聴器で聴く音にはノイズが必ず入るのだ。

しかし『聲の形』においてノイズというキーワードはそこだけに関わるものではない。滲みやボケといったキーワードを山田監督と共有してゆく中で、映画中の音の鳴り方に関して牛尾さんは以下のように述べている。

僕としてはアニメの中の、「曲がり角の向こう」とか「窓の向こう」とか「扉の奥」とかにあるような、物語を取り巻く世界として音が鳴っていて欲しかったんです。

音楽 | 映画『聲の形』公式サイト

今回、僕が付けるべき音楽は、将也たちのいる曲がり角のむこう、扉の奥、カメラの後ろ側……そういうところにあるもので、だから音楽未満の、カソカソいっている音も必然的に入ってくる。

美しくやさしく将也たちの世界を包む、異例づくしの音づくり――映画『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー - Excite Bit コネタ(7/11)

聲の形』において音楽は、将也達から窓一枚・扉一枚分隔たった世界に配置されているという事。ここに音楽と将也の間の「距離感」が意識されている。
もちろん、将也と周囲の人間との間の心的な距離の遠さという意味でも、距離感は重要だと想像できる。
そして言われているように、この距離感を作り出すために"音源未満の、カソカソいっている音"、すなわちノイズ的な音が必要になってくるというのだ。


アルバム「the shader」において突き詰められた、距離感を取る手法がここで生かされる。「the shader」で聴き手を音楽から遠ざけようとしたように、将也と音楽を決して近づけない。


当然、「the shader」とまるっきり同じ事をやっている訳ではない。
先ほど「インベンション」の例で述べたように「the shader」と共通した手法を使いつつも、ピアノノイズを新要素として積極的に活用している。能書き抜きに音楽単体で聴いてみても、打鍵の音やペダルの擦れる音などは「the shader」には無かった新しい感覚だし、それはどこか包み込むような丸く優しい響きを持っていて心地よい。包み込むと言えば、劇場のサラウンド音響を生かして、まるでピアノの中にいるような体験を作っているのも、映画音楽として使うからこそできた新たな試みだろう。だからこそ劇場で何度も体感しておかなかった事を私は後悔している。なにをやってんだ1年半前の自分は!と。



音素材を聴き手から遠くに配置し世界観を作り出すという考え方(又そのノウハウ)は引き継ぎつつも、音楽として確実に新しいサウンドへと進化したのがこの『聲の形』のサントラなのだろう。
そしてその音楽は将也を取り巻く周りの世界でもあり、硝子が補聴器越しに聴く周囲の世界でもあった。


「光と影」

さて、二つ目の「光と影」について考えたい。


ここで鍵となるのは、 将也をとりまいている世界は実は美しい、というメッセージ性が作中に込められている事だ。


映像面で振り返ってみると、このメッセージはあらゆるところに仕込まれている。
例えば将也がいじめのターゲットに変わり、学校の池に落とされびしょ濡れで呆然とするシーン。ささいな事で次々にいじめのターゲットが変わっていく小学校という小社会の残酷さ、そして他でも無い自分がその関係性の変化に巻き込まれ放心する将也。しかし池の中の将也から遠くへカメラが引いてゆくと、綺麗に咲く白い花にピントが合ってゆく。将也自体は気づいていないけれど、周囲には美しい世界がとりまいているんだよ、と示されるのだ。他にも、背景で桜の木が綺麗に咲いているカットが劇中何度も出てくるが、そこにはピントは合わない。将也の気づかない周囲の美しさが常に救いのように存在している。
特に、心的に"キツめ"なシーンほど、世界の美しさが強調されるように感じた。


一番の問題は、将也自身がこの美しさに気づいているかどうかだ。聲の形』は、将也が周りの世界と向き合い、その美しさ=光に気づくまでの物語であると捉えられると思う。牛尾さんはインタビューの中で以下のように表現している。

そう、映画『聲の形』は、将也が生まれ直す話なんだと思います。

ラストの曲は、京アニ近くの河原で泣きながら思いつきました――映画『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー - Excite Bit コネタ(11/11)

生まれ直す、とはどういう事だろう?
映画の頭と最後に現れる、暗闇の奥に小さな光が見えるあのイメージがヒントになりそうだ。耳を塞ぎ暗い影の中で過ごしていた将也が、まわりの世界へと耳を開いて光へと抜け出してゆく。おそらくこの暗い影を生まれる前の胎内のイメージに捉えているのではないかと思う。*5将也が周囲の光にたどり着く学園祭のラストシーンは、まさに"生まれ直し"なのだろう。


話を戻せば、将也と取り巻く世界の美しさ・そこにある光と影を、映画に落とし込む必要がある。

映像面に関しては先ほど書いた通りだ。物語としては影を感じるシーンでも、周囲を囲む美しい草花や人々の存在(=光)が、実はある。小学校の教室のシーンなどでも、影の落ちた室内と窓の外の眩しいまでの光が対照的だった。影があるということは、光がある。

では音響面ではどのようにこれが落とし込まれたのか?
こんな抽象的なコンセプトを音楽に落とし込むなど、普通なら途方にくれるかもしれない。だがここで生きてくるのが、「the shader」において光と影の関係性というコンセプトに牛尾さんがすでに取り組まれていたという事だ。*6

ここにもまた、「the shader」から繋がってきた牛尾さんの理念が生きている。




「距離感」「ノイズ」また「光と影」というキーワードに絞って見て来たが、どれも『聲の形』の根幹に関わるコンセプトであると共に、アルバム「the shader」から地続きで繋がってきたコンセプトでもあるように思える。

山田監督の示した作品の方向性と、牛尾さんが元々「the shader」で打ち出していた音楽性が抜群の相性を見せ、さらに作品コンセプトの綿密な共有が成される事でその相性の良さがさらに強固になった。

その結果、"ただ音楽を後からつけるだけ"でなく、ある一つのコンセプトを映像と音楽で別の側面から表現するような描写ができたのだろう。

リズと青い鳥』への期待とまとめ

さて、話はかなり変わるが、今私の楽しみにしている映画の一つにリズと青い鳥がある。
テレビアニメ「響け!ユーフォニアム」シリーズの続編に相当する映画として公開が予定されている。テレビ版とはスタッフを変え、『聲の形』スタッフが再集結しており、非常に高い期待を負っている。私も期待している一人だ。

聲の形』スタッフが集結するという事は、再び山田監督と牛尾さんのタッグが劇場で実現するという事。
今回様々なインタビュー記事を参考にして文章にまとめたり作品を観直したりする中で、映画『聲の形』がいかに非凡かというのを改めて感じ、『リズと青い鳥』にも期待せざるを得ないといった心持ちになった。
特に音楽面では、今度はどのように牛尾さんの音楽が作品のコンセプトと結び付いてゆくのか?とても楽しみだ。


それからもっと純粋に、agraph楽曲がカッコいいという事に気づけたのが大きい。こんな感じのエレクトロニックな曲をもっと聴いてみたいのだが、何かないだろうか。agraphの2ndアルバム「equal」にも少し手を出してみたりしている。



今回はかなり抽象的な事ばかり文章にしてしまったと思う。時間があれば、もっとワンシーンワンシーン着目して感想を書きたい。

ひとまず自分の中での思考整理にはなったので、『リズと青い鳥』に向けて体勢は整ったはず。

*1:記事【1】参照

*2:そもそも自分は電子音楽はほとんど聞いた経験がなかったため、今回このアルバムを聴いてみて俄然エレクトロニックな響きの魅力に惹かれたというのはまた別の話。

*3:ここで、"音楽の世界観なんて、聴いて感じるものだろう!文字で語るものじゃないよ!"という指摘は甘んじて受け入れたい。私もそうは思うのだが、この記事の目的は「the shader」から『聲の形』への繋がりをみることであるから、その手がかりとなるような言葉は少しでもインタビューの中から拾って置きたいのだ。ご容赦願いたい。

*4:記事【1】参照

*5:【1】のインタビューで、"カラダの中にいる感覚"と触れられている。この感覚を作り出す目的でも、ピアノのノイズが効果的になっている。改めて、ピアノのノイズがどれだけ作品のコンセプトに親和する音なのかを感じる。

*6:【4】や【5】の記事に詳しい。