アニメと日々を見聴きする。

アニメの感想/考察中心に、長文を記録しておきたくなった時に記録するブログ。劇伴音楽関連の話題が多いかもしれません。

いちアニメファンの読む ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(2)

↓↓前回記事↓↓

いちアニメファンの読む ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(1) - アニメと日々を見聴きする。

映画にとって音とはなにか

映画にとって音とはなにか

前回の読書感想文の続きです。

今回はアニメの話少なめで純粋な読書感想となっています。

音楽の自律性

音楽の“自律性”と称し、音楽が映画の中にある音の中でも特別な地位を占めている事が主張されました。


第1部では、効果音や話し声などの音は映像に対して従属的であるというような話がありました。
しかし音楽は、物語の中で一定の役割を果たしつつも、常に映像や物語を”無視”できるような自律性を持つと書かれています。

つまり例えば、ある映画のワンシーンで使われた音楽は、別の映画のあるシーンで差し替えてみても違和感なくやっていけるというのです。
(そういった実験の例も示されています。)


TV放映されるアニメ(ドラマ)などで、同じ劇伴音楽を違う話数の違うシーンで何度も使い回せるのも、この自律性による所があるのかなと思います。音楽が「特定の映像やシーンでないと使えない」事は無いという例ではないでしょうか。
(フィルムスコアリングのように、特定のシーンのために音楽と映像を合わせて作る曲もありますが、この場合でも音楽の自律性は失われないはずです。)


一方、映画のPVや予告などの存在を思い出すと、音楽以外の音でも一見”自律性”を持っているかのように見えてしまう事があります。
例えば予告編の中で挿入されているセリフって、必ずしも本編中の該当シーンの映像に伴って使われない場合が多いと思うんです。
(たぶんどんな映画の予告編を見てもだいたい言いたいことが分かってもらえるかと……)

PVや予告映像における音って、本編中とは違う考え方で配置され使われているのかな、などと思ってしまいます。

音楽の果たす役割 - ライトモチーフ

第2部の中盤では、音楽が映画の中で果たす役割について様々な形で触れられていましたが、読んでいて一番具体性をもって理解できたのは「ライトモチーフ」の使用法に関してでした。

ライトモチーフは映画の中で人や場所、概念などを表象する音楽(誰々のテーマ、のような)ですが、ただ同じモチーフを繰り返し使えば良いというのでは無く、構造や対立などの要素を伴って使われるべきだとの指摘がありました。


構造や対立と言われても何のことやらあまり想像が湧かなかったのですが、作品『テリエの館』の分析の具体例を見ると分かりやすかったです。
この本の良い点の一つは、映画作品を元に実際にシオンが分析を展開してくれる部分が非常に具体的で面白く、かつその映画を知らない人(私のような)でも分かるように解説が書かれている所だと思います。

この分析では、劇が進むとともにライトモチーフがどう変容し、またどのモチーフがどの別のモチーフと対立関係にあるか、そしてこれらが物語の構造とどう絡み合うか……などが、映画全体を追いながら書かれています。
これは、劇伴音楽好きな方なら一読の価値あり、という部分でした。


ライトモチーフの他にも、

時空間の伸長
感情の表現

といった役割についての説明がありましたが、ここは私の読解不足もあり理解が及ばず、十分納得できない部分も多かったのでここでは記しません。
特に、”場所の場所”と、”非感情移入的音楽”の概念にあまりしっくり来ませんでした……。

楽器をいかに撮影するか

楽器による演奏をいかに撮るか、という話題に触れられていました。

十分理解できない記述も多かったのですが、要するに「楽器による演奏シーンの撮影は難しい」というふうに思います(笑)
様々なアイデアに触れられていましたが、必ずしも唯一つの正解は無いように思えます。


例えばオーケストラの演奏を映すテレビ番組などを見ていると、カメラに映す奏者を数秒ごとに切り替えて撮る方法が頻繁にみられます。
ソロパートが始まればそのソロ楽器の奏者を映したり、時には指揮者を映したり、たまに全体を俯瞰するように引いてみたり……というように、オーケストラの断片断片を次々に切り替えていく手法です。

ただ、ミシェル・シオンはこのような”カットの作り方”には否定的なようです。このような撮り方は”演奏を粉々に砕いてしまう”と表現されています。
(私個人としてはそこまで違和感はないのですが……。)
映画作品の例を出しつつ、”ロングショット”を使うなど、他の演奏の撮り方の可能性について紹介しています。


また、演奏を題材にした映画の場合、

どんな曲を演奏シーンに用いるのか?(誰もが知る名曲か?オリジナルか?)
どんな質の音にするか?(豊かな響き?貧弱な響き?)

などの観点も重要なものとして書かれていました。
こうした要素によって、物語の中の演奏がスクリーン内に含まれて聴こえるか、オーケストラピット(スクリーンの外)の音楽のように聴こえるかといった違いが生まれるのだと理解しました。



アニメの例を考えると、真っ先に響け!ユーフォニアムがでてきました。
これは高校の吹奏楽部を題材にしたアニメで、当然演奏シーンが数多く現れました。その演奏シーンの映像のクオリティの高さでも、高い評価を得ているアニメです。


演奏の撮り方を見ると、オーケストラを映すテレビ番組のように、奏者を断片的に切り替えながら写していく”ふつうの”方法がよく取られています。
ただ、全てが普通のテレビのように撮影されているわけでもありません。

例えば、演奏自体を撮影するのではなく、演奏から登場人物が想起する感情・想い出を撮影する意図のカットが度々挟まれていると思います。
「想い出ショット」とでも呼べばいいでしょうか(笑)。(筆者の造語です。)


第2期第5話での、オリジナル曲「三日月の舞」の演奏シーンを見てみます。

基本的には奏者を断片的に撮影していく方法で演奏シーンが進みます。しかしその中にも、

楽譜に貼られた想い出の写真にクローズアップ
コンクールB組の舞台裏での様子のショット
舞台裏でソロを聞く人物のショット
主人公久美子の回想シーン

などが挟まっており、これらは「想い出ショット」に該当するでしょう。

よく見てみると、「想い出ショット」曲の中間部分に多く集中して使われているように見られます。
曲の緩急に合わせて撮影の趣向を変えることにより、映像にも緩急がつくのかもしれません。

また、スローモーションで奏者を抜くショットもありましたが、等速よりも躍動感が伝わって来る気がします。



いずれにせよ、「楽器の演奏をどう撮るか」という課題は簡単ではなさそうです。
今後演奏シーンのある作品を見るときは、こんな観点で見てみても面白いかもしれないです。

さいごに、読み終わって

アニメや映画の音に関して、どのような考えがあるのかを知るという目的では、今まで考えてもみなかった切り口や概念をいくつか知ることができ、とても身になりました。
音の3つの分類、音楽の自律性、どう演奏を撮るか、など面白い観点がたくさんありました。


ただ、私の映画に関する知識不足もあるとは思いますが、本に書いてあること全てを手放しに鵜呑みにはできませんでした。
どういう論拠でそれを主張しているのか、私には十分に理解できない箇所もかなり多かったです。(特に第2部に多いように感じました。)


個別の作品分析はかなり面白い場合が多かったです(『抵抗』『テリエの館』など)。

映画オタクでも無い私は分析されている作品の事を事前に知りませんでしたが、全く内容を知らない状態からでも、いかにその作品を音で演出できているかという点の説明が、物語のあらすじと共に非常に丁寧になされていたので助かりました。
このような分析からは、どのように音楽や音の配置を捉えれば作品との関連性が見えてくるかという「作品の聴き方」に関する知見が得られ、とても有用でした。

ただ、こういった”分析”も面白いですが、純粋に劇伴音楽を音楽として楽しみたいという姿勢も持っていたいなと私は思っています。



最後に、この本の途中にもあったように「本当に良い劇伴音楽は目立たず気付かれないものだ(謙遜の規則)」という点を忘れてはいけないかなと思います。
要は、音の演出効果って本来はほぼ無意識なレベルで視聴者に訴えかけてくるものなのだと思います。

ですから、一番見失ってはいけないのは「まず作品全体を楽しむこと」であり、「そろそろ音楽に注目して見るかな〜」というのはその作品を2,3周くらいし終わってからがちょうど良いのだろうと思います。


面白い概念や着眼点をいくつか吸収できたので、充実した本でした。またそれとは別に、純粋にアニメや物語全体を楽しむ心も、忘れたくないと思います。